家康の「伊賀越え」検証 名張ルートの可能性指摘 津・清水氏講座 三重

【講演する清水さん=津市芸濃町の錫杖湖水荘で】

【津】三重県津市芸濃総合支所は29日、同市芸濃町の錫杖湖水荘で郷土史講座を開いた。郷土史家の清水重久氏(81)=鈴鹿市長太栄町=が「どうした家康 伊賀越えの謎」と題し、天正10年6月2日の本能寺の変後に徳川家康が岡崎に帰還した経路を検証した。

清水氏は、本能寺の変を知った家康一行が岡崎に戻った経路で通説とされる「堺―飯盛―小川―伊賀越」ルートに疑問を示し、3日で200キロの移動が考えられないことなどから別ルートの可能性を指摘した。

同月10日付けで家康が送ったとされる感謝の書状では「高見峠」での襲撃を助けられたとあるものの「東吉野から松阪に抜ける現在の高見峠には伝承がない」と指摘。名張市周辺を現地調査した結果、かつて「高見」の字名があったことが判明し「堺―竹内峠―初瀬街道―名張(高見)―伊賀越」ルートなら「半分の100キロに短縮され3日で岡崎に帰ることができる」と述べた。

同講座は同施設を活用し地域の歴史に理解を深める目的で開催。近郊の59人が聴講し、講座後は同施設レストランの弁当を食べた。

津市の自営業、寺本武司さん(60)は「仮説を立証するため一つ一つ足を運んでいて素晴らしい。歴史に思いをはせられる場所で開かれるのもいい」と感想を話した。