<まる見えリポート>伊勢から熊野へ200km巡礼 世界遺産20周年向け、NPO大杉谷自然学校がプロジェクト

【「伊勢から熊野へ200km巡礼」の一行(大杉谷自然学校提供)】

NPO大杉谷自然学校(三重県大台町久豆)は「伊勢から熊野へ200km巡礼」を実施し、昨年9月20日から10月3日まで2週間かけて大西かおり校長らが踏破した。「熊野古道巡礼旅復活プロジェクト」の第1弾。来年の世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」登録20周年を見据え、世界中から巡礼者が集まるスペイン・フランスの世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」を目標にしている。

江戸時代の熊野古道はお伊勢参りを済ませた後、観音寺院を巡る西国巡礼に向かう神から仏へ転換する道だった。熊野那智大社に隣接する青岸渡寺を目指し、そこを第一番札所とする西国三十三所巡礼の旅に赴いた。西国巡礼は1200キロあり、1―1・5カ月かけて巡る。

熊野古道伊勢路のうちツヅラト峠(大紀町―紀北町)以南は世界遺産に登録されたが、最初の峠となる多気、大台町間の女鬼(めき)峠など玉城、多気、大台、大紀の4町にわたる伊勢路北部は外れている。

大西さんは北部の世界遺産追加登録を目指す中、「裏山のような女鬼峠をどうやったら一番輝かせられるか」を考え、「伊勢から熊野まで一本の巡礼路として価値を高めること」が欠かせないと結論。県のコロナ対策「魅力的な観光地づくり補助金」60万円を活用し、熊野古道200キロ踏破を企画した。

伊勢市の伊勢神宮内宮前を出発し、和歌山県那智勝浦町の青岸渡寺へ至る行程を14区間に分け、スタッフの女性4人が民宿や旅館、ホテルを利用しながら、一日約15キロを歩き通した。各区間で地元のガイドが付き、日帰りを含め多いときは13人が参加した。

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 一行は着物の巡礼衣装で、ほら貝を鳴らして出発。一日一回、お寺でお経を唱えた。ツヅラト峠では大雨に見舞われ滑りやすく、ヒルに吸われる事態も。台風で延期した初日の「伊勢―田丸」を最終日に歩き、200キロ巡った。「なぜかスタート地点に戻ってきた気持ち」になったという。

馬越峠(紀北町―尾鷲市)や松本峠(熊野市)の日帰りバスハイキングが多いが、歩き通す形を取るとともに、ウオーキングではなく巡礼の性格を打ち出した。

曽根次郎坂・太郎坂(尾鷲市―熊野市)では、巡礼供養碑に植物を手向ける地元ガイドに、「見守ってくれるような気がする」と言われた。

大西さんは「服を着て帽子を着けた石仏がたくさんあって、いい感じだった」「昔の祈りの形跡だけでなく、現在も地域の方の心に神様がすんでいるのを所作の中に感じた」と語る。

13泊14日なので、旅がもはや暮らし。食料品を買って料理もした。熊野市の呉服店で足袋の替えを買った。「車と違って歩き旅は街道の商店街に誘引する力がある。巡礼者が増え、にぎやかな町に戻ればいいな」と話す。

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 大西さんは「行く前には疲れる、面白くない、ニーズがないと言われた。行ってみて無理、駄目でした、となったらどうしようと思った」が、「行ってみた感じでは十分稼げる」と判断。

旅行業はNPOでは制約があるので、会社設立も視野に熊野巡礼の復活を盛り立てたいという。特に「伊勢路北部は難度がほとんどない。大台町から舟で宮川を渡り、大紀町の三瀬坂峠を越え瀧原宮に至るコースは古道の雰囲気がよく残る。集中的に誘致したらどうか」と夢が膨らむ。

「準備を進め、来年の熊野古道の世界遺産登録20周年に花開かせる。世界中から来てほしい」と意気込んでいる。

一方のサンティアゴ巡礼は毎年、約10万人がフランスからピレネー山脈を越え、スペイン北西部ガリシア州にあるキリスト教の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す。キリストの12人の使徒のうち最初に殉教した聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の遺骸が祭られている。フランス中央部から国境近くまで700キロ、そこから800キロの計1500キロの道のり。

巡路に当たるスペインのバスク自治州と県は令和元年、「世界遺産の巡礼道を生かした協力・連携に関する覚書」を締結している。