―鈴鹿の農地守りたい― 碾茶生産・加工・卸販売「鈴鹿の七樹」代表取締役 山口昌紀さん

【「鈴鹿の地で農地を守っていきたい」と話す山口さん=鈴鹿市追分町で】

三重県鈴鹿市追分町の「鈴鹿の七樹」は、家業の「倭芝園」に務める傍ら、平成30年に設立した。自社茶畑約30万平方メートルと協力農家7軒の約20万平方メートルで生産した茶葉を、自社工場で抹茶原料のてん茶に加工して年間約220トンをJA全農みえ北勢茶センターを通じて、京都、愛知を中心に全国の問屋に届けている。

また、太陽光発電による売電事業、タマリュウや多肉植物などの緑化木の生産に加え、3年前からはシャインマスカットやクイーンニーナ(赤ブドウ)などの果樹栽培にも挑戦している。

祖父の故栄男さんが昭和47年に創業し、父覚さん(69)と共に、ゴルフブームの時代に業績を伸ばしたサツキや芝生の生産・卸販売と造園・造成会社「倭芝園」の3代目を令和2年に引き継ぎ、社長を兼任している。現在は、「倭芝園」の業務を「鈴鹿の七樹」に徐々に移行しつつある。

同市深溝町に建設したてん茶工場は、レンガ炉と蒸機各4基とネット型乾燥機2台の最新設備を導入。収穫最盛期は24時間操業で、1日の生産量は約3トンに上る。色、香りなど品質の良さが高く評価され、近年の抹茶需要の増大に伴い業績を大きく伸ばしている。

鈴鹿市で4人きょうだいの次男として生まれ、祖父母と8人家族で育った。幼少時はわんぱくで、ブランコから飛び降りて骨折したり、遊んでいて顔に棒が刺さったりとけがが絶えず、いつも母に心配をかけていた。

勉強は苦手だったが、進学した亀山高校商業科の簿記教諭の授業が分かりやすく、面白くなり2年生で簿記2級資格を得た。将来は会計士か税理士になろうと決め、名古屋商科大に進み、会計ファイナンス学部で学ぶ傍ら、仲間と旅行やドライブを楽しんだ。

卒業の年がリーマン・ショックと重なったこともあり就職活動はせず、祖父の代から続いてきた家業を守り、大きくしていこうと決意して「倭芝園」に入社した。主力商品のタマリュウは、1年を通して緑を保つ常緑多年草で花壇の縁取りや木の根元飾り、グラウンドカバーなどにと用途が広い。株分けしたタマリュウの苗の植え付け、施肥や水やりなどを、父の指導で覚えていった。すぐに生産管理から卸売り出荷までを任され、多忙な日々を送った。

父の発案で、脱炭素社会(カーボンニュートラル)を目指す取り組みとして平成25年、遊休地に太陽光発電パネルを設置して新たに売電事業に参入した。

同30年、より多くの農業の可能性を追求していきたいと「鈴鹿の七樹」を創業した。2年後の令和2年、「お前の時代や、頑張ってくれ」と引退した父から、「倭芝園」を引き継いだ。

祖母と弟、妻裕賀子さんと7歳の長男、1歳の長女の6人家族。車が大好きな長男とはドライブやゴーカート遊びに出かけ、長女をお風呂に入れるのが何よりの楽しみという子煩悩なパパだ。「家事、育児全てを切り盛りしてくれる妻には感謝しかない。子どもたちの笑顔が元気の源。皆が健康でいてくれることが最高の幸せです」と話す。

支えてくれる役員、従業員10人と共に手を携え、高齢化による地元茶農家の離農地を受け入れられるように力を蓄え、前進していきたい。「会社創設から6年目。お茶と緑化木、果樹栽培事業の拡大、ソーラーシェアリングを兼ねて放棄地を少しでも減らせるよう、鈴鹿の地で農地を守っていきたい」と意欲を語った。

略歴:昭和61年生まれ。平成21年名古屋商科大学会計ファイナンス学部卒業。同年「倭芝園」入社。同30年「鈴鹿の七樹」創業。令和2年「倭芝園」社長就任。

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