―肉牛、繁殖から肥育まで一貫― 「三重加藤牧場」社長の加藤勝也さん

【「次世代と共により一層、高品質で自給率の高い肉牛の生産に励んでいきたい」と話す加藤さん=四日市市上海老町で】

四日市市上海老町の「三重加藤牧場」は、義父の故茂さんが昭和39年に創業した「加藤養豚」が前身。同55年から養豚に加えて、牛の繁殖・肥育にも参入した。同62年に義父から牛部門を譲り受け、和牛の繁殖と肥育に特化した「加藤牧場」の経営を始めた。

子牛を出荷する繁殖経営と、購入した子牛を育て肉として出荷する肥育経営は、それぞれ別の牧場ですることが多い中、繁殖から肥育までの一貫経営牧場は全国的にも珍しい。平成27年に法人化し、株式会社「三重加藤牧場」と社名を改めた。

地元農家と契約し、粗飼料となる稲わらや麦わらと牛の堆肥を交換する地域循環型農業を実践している。また、産業廃棄物中間処理場資格を取得し、豆腐製造業者と契約して未利用資源の「おから」を乳酸発酵させ、タンパク質が豊富な濃厚飼料を開発するなど、環境に配慮した取り組みを進めている。

さらに、粗飼料と濃厚飼料を分けて2回だった従来の給餌方法を見直し、大型ミキサーで両方を混ぜて1回の給餌にすることでスタッフの作業効率を上げ、個々の牛の健康状態を観察する時間の確保につなげた。

法人化とともに、明和町で松阪牛の生産に乗り出した。令和元年には、家畜人工授精所を開設し、自社牧場だけでなく、全国の牧場に受精卵を販売するようになった。同2年からは、滋賀県蒲生でも牧場を始め、近江牛の生産にも着手している。

四日市の牧場で生まれ育った雌の子牛は明和町の自社牧場に送られ松阪牛として育てられ、雄の去勢牛は蒲生の自社牧場で近江牛として育てられる。いずれも日本を代表するブランド牛になる。

現在は、四日市、明和町、蒲生3牧場合わせて約9ヘクタールで繁殖牛約500頭、育成牛約1000頭を抱えている。牧場経営を始めた36年前に比べて約10倍の規模に拡大させ、業績を伸ばしている。

兵庫県でパン製造業を営む両親の下、3人きょうだいの長男として生まれた。幼少時は、伯父さんが経営する養鶏場に遊びに行くのが楽しみだった。中学から野球を始め、高校では仲間と共に甲子園を目指したが、全国大会への道のりは遠かった。学園の教育理念だった、徳をもって徳に報いる意の「以徳報徳」の精神は胸に焼き付け、今も仕事をする上でのモットーとしている。

立命館大に進学し経営学部で学ぶ傍ら、将来は家業を継ごうと、京都市内のパン屋でアルバイトに励んだ。卒業後は、学校給食や量販店などにパン・和洋菓子を卸す「山本ベーカリー」に入社し、営業や配達を担当した。

24歳の時、近畿青年洋上大学に参加した。2週間の船旅で天津、北京、上海などを回って中国の現状を学んだ。この旅で出会った美子さん(58)と、2年後に結婚した。美子さんが跡取り娘だったことで、家業を弟に託して三重に移り住んだ。翌年、義父から牛部門を譲り受けて牧場経営を始めた。

総務と子牛の保育部門を兼務する妻美子さんと義母はま江さん(90)の3人暮らし。「時間を見つけて妻とゴルフに出かけるのが楽しみ。スコアが良くても悪くてもまた行きたくなる。最高のリフレッシュタイム」と話す。長男勝三さん(36)は、明和牧場の代表を務め、次男文太さん(35)は繁殖部門の責任者として加藤牧場で共に働いている。

平成22年にまるごと四日市地域ブランドに認定され、同24年の日本農業賞「大賞」をはじめ、近江牛グランプリ枝肉共進会社長賞、松阪肉牛協会優秀賞など、応接室にはこれまでに獲得した数多くの表彰状やトロフィー、盾などが並んでいる。

ゼロからのスタートでの牧場経営、腸管出血性大腸菌O157や口蹄疫(こうていえき)、BSEなど、畜産界を震撼させた危機を何とか乗り越えてきた。「国産飼料で自給率の高い肉牛を生産できる自社完結のシステムを有効活用して、次世代と共により一層、高品質で自給率の高い肉牛の生産に励んでいきたい」と語った。

略歴:昭和35年兵庫県生まれ。同57年立命館大学経営学部卒業。同年「山本ベーカリー」入社。同61年「加藤養豚」入社。同62年「加藤牧場」創業。平成20年法人化により「三重加藤牧場」に社名変更。同21年県四日市畜産公社役員就任。同27年明和牧場開設。令和2年蒲生牧場開設。同年県畜産事業協同組合理事長就任。

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