―「喜ばれ役立つ」仕事を― 一般電気設備設計・施工「六晃電気産業」社長 水越多加夫さん

【「世の中に喜ばれ、役立ち、皆が笑顔で働ける職場環境により一層近づけていきたい」と話す水越さん=桑名市繁松新田で】

三重県桑名市繁松新田の「六晃電気産業」は昭和47年、父六弥さん(88)が同市北別所で創業した。県北勢地域と愛知・岐阜を中心に、メーカーの電気・計装工事、制御盤製作の元請会社として業績を伸ばした。春日井と知多市に出張所を開設し、同55年に有限会社から株式会社に移行した。

平成18年、会長に退いた父から「喜ばれ役立つ」という企業理念とともに経営を引き継いだ。公共施設の受変電設備の改修メンテナンスや舞台、競技場の照明改修などの公共工事にも参入。コスト減のための省エネ提案をするなど、社員30人と心を一つに信頼と実績を重ね、令和4年に創業50周年を迎えた。

大手メーカーから「受変電設備の定期点検を2日間の工期でやってもらえないか」という依頼があった。急ぎ声をかけた協力会社10社から、作業員200人余を調達。社員がリーダーとして全員に作業内容を周知し、2日間で仕上げた。担当者から「六晃さんに頼んで良かった」と感謝され、頼もしい協力会社の人々と社員全員で達成感を味わった。

桑名市で長男として生まれた。心身の鍛錬にと、両親の勧めで小2から水泳、小3から剣道も始めた。剣道は中高と続け、高1で2段になり、高2では県大会に出場した。1人息子でもあり、将来は家業を継ぐことを決めて福島県の日本大学工学部に進学した。

電気工学科で学ぶ傍ら、射撃部に入部して4年間エアライフル競技に打ち込んだ。東北地区の大学3校のライフル射撃大会に向けての合宿も、懐かしい青春の1ページ。「部活や同じ科の仲間とは、今も時々集まって旧交を温めている」と話す。

卒業を前に、父から「しばらくは都会でもまれてこい」と言われ、総合設備工事会社の東京本社に入社した。IT関係の情報ネットワーク部に配属され、LAN(ローカルエリアネットワーク)構築業務に携わった。入社から3年目、消費税3パーセント導入に伴う駆け込み需要により、残業や休日出勤で多忙な日々を送った。

5年間の修行の後、桑名に戻って家業に入社した。現場仕事から徐々に仕事を覚えていくのだろうと思っていたが、周囲からは次期社長だと見られ、家業の次なるビジョンを問われるなど、経営者としての資質を求められて戸惑うことも多かった。営業の仕事が主となり、顧客回りをして関係向上に努め、新たな顧客の獲得にも力を注いできた。

また、青年会議所や同友会に入会して同世代の人々との交流から多くを学び、43歳で2代目に就任した。「社員はかけがえのない家族。皆が頑張ってくれているから会社が成長していける。自分1人の力なんか知れていることを胸に刻み、社長の重責を担っていこう」と決意した。優柔不断な自身を戒めるため、「腹を決めて行動する」を座右の銘とした。

長男は大阪、長女は東京でそれぞれ会社勤めをしている。現在は、総務と経理を担当している妻と愛犬ぷん君(トイプードル、4歳)との生活。「月1、2回は妻とゴルフでリフレッシュ。家庭は仕事への活力を与えてくれる安らぎの場です。支え続けてくれる妻には感謝しかありません」と話す。

上司や先輩による社内教育、資格取得やスキルアップへの外部教育支援、保養施設の確保など、社員の福利厚生面も充実させている。また、慰安旅行や忘年会を通じて社員との親睦を図っている。

現在の課題は人材不足の解消。求人サイトだけでなく、県内外の学校訪問、高校生対象のインターンシップ、社内紹介制度などで人材確保に努めている。「常に社員が大きな満足を得られる仕事をしたいと考えている。世の中に喜ばれ、役立ち、皆が笑顔で働ける職場環境により一層近づけていきたい」と意欲を語った。

略歴:昭和38年生まれ。同62年日本大学工学部卒業。同年「住友電設」入社。平成4年「六晃電気産業」入社。同18年「六晃電気産業」社長就任。同27年一般社団法人「三重電業協会」理事就任。同28年桑名ロータリークラブ入会。令和3年健康経営優良法人認定。

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