―誠実なケアで安心を―訪問看護・介護ステーション「結び」社長 林田藍美さん

【「ふるさと長崎で、祖父母たちが安心して過ごせる看護師常駐のサ高住を展開するのが夢です」と話す林田さん=亀山市川崎町で】

四日市市日永西で訪問看護事業「結び」を令和3年に創業、翌年から在宅訪問看護業務をスタートした。同時に、亀山市川崎町のサービス付き高齢者向け住宅(以下、サ高住と表記)1棟16室を借り上げ、施設内訪問看護をするようになった。医療行為ができる看護師が24時間常駐する施設は数少なく、安心できると利用者とその家族に喜ばれている。

コロナ禍で、外部のデイサービスに行けなくなった入居者の生活面での支援も必要になり、介護サービス事業にも参入。入居者とその家族にとってより良いケアができるよう、行政や医師、ケアマネジャー、薬剤師、福祉用具業者らがワンチームとなって、それぞれの立場から意見を交換し合い、最良の対応を決めている。

「医療と介護を結ぶお手伝い」がキャッチフレーズ。現在は亀山市川崎町のサ高住を拠点にして、看護師と介護スタッフ9人がプロ意識を持って、入居者1人1人に寄り添いながら心のこもったお世話をしている。入居者のわずかな体調変化も見逃さないよう日々の生活を見守り、異常の有無をチームに発信している。

入所した90代の女性は、毎日のように面会に訪れる娘さん夫婦と穏やかな日々を送っていたが、3カ月後、静かに息を引き取った。後日、娘さんから「母にも家族にも安らぎの時をいただき感謝。結びさんにお任せできて本当に良かった」とつづられた長い手紙が届いた。その女性の90代の夫も希望して、現在入居している。施設の共有スペースには入居者らのスナップ写真が貼られており、夫は毎日その前にしばらく立ち止まって在りし日の妻をしのんでいる。

娘さんからの感謝の手紙は宝物として肌身離さず持ち歩き、もっと何かできたのではと反省したり、この仕事を選んで良かったと再確認したり、折に触れて読み返しては励まされている。

長崎県諫早市で2人きょうだいの長女として生まれた。初孫とあって、父母双方の祖父母にかわいがられた。特に父方の祖母は、着物や浴衣を仕立ててくれたり、ごちそうを準備してくれたり、今でも祖母の味が忘れられない。6歳の時に弟が生まれ、自分にはあれほどしつけに厳しかった父が、弟には寛大で、叱るのを見た記憶がない。

小3の頃から白衣に憧れ、小学校の卒業文集に「看護師になりたい」と書いた。中3になった時、担任からこんな成績では進学は無理と言われ心機一転、猛勉強をして私立女子校の保育科に進学。2年生で社会福祉コースを選択、高齢者福祉施設での実習も体験し、卒業後は看護学校に進む決意をした。

自身が生まれた産婦人科医院で看護助手として住み込みで働きながら、長崎県央看護学校に通い始めた。勉学と仕事の両立は厳しかったが、看護助手として現場で経験を積みながら、看護師を目指すメリットは多かった。卒業後は、准看護師の資格を取得して産婦人科医院で勤務を続けた。

15年前、夫の転勤で四日市に移り住んだ。慣れない地で不安もあったが、幼い子ども2人を託児所に預けて働き始めた。内科、眼科や婦人科医院などで10年余り勤務した後、医療特化型サ高住を全国展開する会社に転職し、東海3県の病院やケアマネジャーを訪問して、医療依存度の高い患者の退院後の入居施設として勧める営業職も経験した。

いつか起業して自分が目指す施設をつくりたいという思いが強くなり、独立を決意し「結び」を創業した。24時間看護師常駐が安心材料となり、口コミだけでほぼ満室になった。

夫と長女、愛犬のヴィヴィアンと暮らす。長男は大学進学で家を離れ、ハンドボール選手として活躍している。家事、育児は結婚当初から夫が担当、子どもたちは物心ついた頃からそれが普通だと思い、友だちの家で母親が食事の用意をしているのを不思議がっていたという。「はたから見ると変でしょうが、夫婦円満で明るい家庭。仕事と家事を両立してくれる夫には感謝、感謝です」と話す。

「入居者さんへの誠実なケアを、スタッフ一同で常に確認し合っていきたい。三重を拠点に、ふるさと長崎で祖父母たちが安心して過ごせる看護師常駐のサ高住を展開するのが夢です」と意欲を語った。

略歴:昭和55年長崎県生まれ。平成13年長崎県央看護学校卒業。同年産婦人科医院入社。同14年―26年内科、外科、眼科で勤務。同26年―令和3年サ高住運営会社2社に勤務。令和3年「結び」創業。

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