2023年8月15日(火)

▼「8月や6日9日15日」―この時期、俳句誌などによく登場する句で「や」は「の」「に」などにも変わる。その世界では有名な句だが、最初の作者は不明。おそらく戦争を体験した高齢者だろうと歴史探偵の異名で知られた半藤一利は推測していた

▼6日はヒロシマ、9日はナガサキ、15日は天皇放送だとして、それ以上は踏み込んでいないが、いわゆる“8月ジャーナリズム”への体験者のまなざしを感じさせる。その8月ジャーナリズムも、今日で終わる

▼記念日ごとに報じて風化を防ぐのは報道機関の使命の一つに違いない。洪水のような報道もその意味で大切だが、年々被害者の視点ばかりが強まっていくような気がする。今年も悲惨な体験がこれでもか、これでもかと報じられた。軍部の過ちと双璧をなす。それはそれで結構だが、昭和史研究家の保阪正康さんは下級兵士の声を聞きたいと言っていた。上層部の話だけでは戦争は分からないというのだ

▼まねをするわけではないが、町会、隣組、警防団、婦人会など、末端行政の実態を知りたい。映画監督・伊丹万作は昭和21年、だまされたという人ばかりでだました人がいないと言った。自分の服装などに国賊を見つけたような憎悪の目を光らせたのはそれら隣近所だという

▼夏休み前に教室に飾られていた歴代天皇の肖像写真が、休み明けにはベートーベン、モーツアルトに変わっていたともいう。恥ずかしげもなく一夜で寝返った大人どもは世界史上、どこの国にもなかった、と半藤は書いている。今に続く国民性を知る上で、貴重な教材になる。