亀山列車銃撃78年、犠牲者を追悼 当時の乗客や遺族ら参列 三重

【サンガの住職3人による追悼法要=亀山市天神2丁目の中村公民館で】

【亀山】三重県亀山の市民団体「戦争遺跡に平和を学ぶ亀山の会」(服部厚子代表)は2日、亀山市天神2丁目の中村公民館で、「亀山列車銃撃事件」の犠牲者の追悼法要を行い、当時乗車していた人や犠牲者の遺族のほか、市内外から計45人が参列した。

同会は、事件を後世に伝えるため、発生した8月2日に合わせ、7年前から毎年、現場近くの公民館で、「亀山若手僧侶の会・サンガ」による追悼法要をしている。

事件は、終戦直前の昭和20年8月2日昼過ぎに発生。軍人と民間人を乗せた国鉄(現JR)亀山駅発鳥羽行きの列車が同市天神町の鈴鹿川鉄橋を渡り終えた時、米軍機(P51)2機の銃撃を受け、40数人の国民が死亡した。

服部代表は「今年もこの日を迎えました」とし、「歴史を学び、その教訓を生かして、誰もが安心して暮らせる社会を作っていくことがわたしたちに課せられた仕事だと思っている」とあいさつした。

当時8歳で祖父と列車に乗っていた伊沢径世さん(86)=四日市市=は「突然、前の席に座っていた軍人さん2人の首がガクンと前に倒れたのを見て、何があったのか分からないわたしを、祖父がとっさに座席の下に隠した」と当時の記憶をたどりながら語った。

また、「停車した列車から飛び降りて、祖父がわたしの手を取り、遠くに逃げたことと、とにかく怖かったことを覚えていますが、年齢とともに思い出せなくなったことが悔しい」と話した。

同会では、列車銃撃事件の情報を呼びかけている。問い合わせは服部代表=電話090(5629)7162=へ。