<まる見えリポート>津の女児暴行死 児相、虐待兆候も対応変えず

【女児死亡を巡る対応の検証に向けて設置された委員会=津市の県津庁舎で】

自宅アパートで三女ほのかさん=当時(4つ)=を死亡させたとして、傷害致死容疑で母親の工場作業員中林りゑ子容疑者(42)=三重県津市久居野村町=が逮捕された事件から2週間あまりが経過した。児童相談所による一時保護の経緯があり、その後も虐待疑いの通告や保育園の不登園といった兆候があったにもかかわらず、事件はなぜ起きたのか。県は第三者委を設置し、課題を検証する。

中林容疑者は令和5年5月22日ごろ、自宅アパートでほのかさんの背中に故意に右腕を当てて、テーブルの上から約30センチ下のフローリングに転倒させる暴行により死亡させた傷害致死の疑いで逮捕された。

捜査関係者によると、ほのかさんの死因は頭部や顔面を打ち付けたことによる急性硬膜下血腫とみられ、頭や顔以外にも複数の皮下出血が確認された。発見時の体重は、同じ年の女児の平均体重より4キロ軽い約12キロ。爪は伸びきって、体にはあかのような物も付着していたことから、ネグレクト(育児放棄)を含む虐待行為が常態化していた可能性も視野に入れて調べている。

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県によると、中林容疑者はほのかさんを出産した直後の平成31年2月、中勢児童相談所に養育の悩みを相談。児相は女児を一時保護したうえで令和元年6月、乳児院に入所させる措置を決定した。

また児相への相談前には、熊本市の慈恵病院が運営する「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)にほのかさんを預けていたことも明らかになっている。

中林容疑者は相談当初から、いずれは自分で養育することに前向きな姿勢を示していたという。児相はその後、保育所への入所決定や、親族による支援への期待、外泊時の様子などを考慮して3年3月、措置解除と家庭復帰を決定し、事案の終結を判断した。

しかし翌4年2月、保育園から「両ほおと両耳にあざがある」と通告があり、児相は家庭訪問して聞き取り調査を実施。中林容疑者は虐待を否定し、今後の指導や支援に応じる姿勢を示したことから虐待認定せずに経過を見守るよう判断した。過去事例のデータベースを基に令和2年から運用を開始したAI(人工知能)による評価もこのときの判断材料の一つとしていた。

児相は、事案の緊急度に応じて対応頻度を、週1回▽月1回▽3カ月に1回―の3つに分けていて、今回の事例については緊急度の低い3カ月に1回が妥当と判断。対応手段は明文化されておらず、当初は直接電話でのやりとりも続けていたが、通園状況を確認したため、4年3月30日の通話を最後に、保育園を通じて近況を聞く「園モニター」に対応を移行した。

児相や津市、同市教委などが参加して3カ月に一度開催される要保護児童対策地域協議会(要対協)実務者会議では、過去3回にわたって同事例が議案に上げられていた。このうち昨年11月の会議では、7月8日を最後に保育園に登園しなくなったことや、3歳児健診が未受診だったことも報告されていた。

児相も園への定期訪問を通じて欠席を把握していたが、元から新型コロナなどを理由に休みがちだった点や、長女の夏休みを挟んでいた点などから当初は違和感はなかったとしている。

12月の園訪問時も欠席が続いていたため、児相は電話で連絡を試みたがつながらなかったという。この時点では週単位で欠席連絡があったため、姉の通う小学校を通じた近況確認にとどめていた。1月16日以降は園への欠席連絡も途絶えたが、途中で対応を変える判断には至らなかった。

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一時保護の解除と家庭復帰の条件には保育園の登園と親族による支援が前提条件とされていた。しかし7月以降は登園が確認できなくなったことに加えて、親族との連絡も実際には取っていなかったといい、事実上前提条件は2つとも破綻していたことになる。また実務者会議では各機関の対応について共有が十分でなく、連携不足も露呈した。

県児童相談センターの中澤和哉所長は「通告時点の判断として間違っていなかった。しかし通園が途絶えた時点で津市と方針を共有し、リスクに応じて対応を変える必要があった。認識が甘かった」と振り返る。

県は11日、一見勝之知事を長とする児童虐待防止対応検討会議を開き、定期的な目視確認の徹底や、状況の変化に伴うリスク再評価などを盛り込んだ再発防止策を急きょとりまとめた。

津市桜橋の県津庁舎では14日、大学教授や弁護士など第三者を委員とした児童虐待死亡事例等検証委員会の第1回委員会が開催された。県や市など関係機関から事案に関する経緯の説明があり、委員からは家庭や子どもの状況などへの質問が上がっていたという。

今後は最低でも月1回の頻度で会合を重ねながら、半年から1年後をめどに今事例への対応に対する検証結果をまとめる方針。委員長の神戸学院大法学部の佐々木光明教授は「命が失われたことに極めて心を痛めている。個人や機関の責任を問うのではなく、再発防止に向けた検証活動が目的。経緯を丁寧に確認していきたい」と話していた。