2023年6月2日(金)

▼岸田文雄首相が長男の秘書官の更迭を決意したニュースが新聞に踊った5月30日は『週刊朝日』最終号の発売日だった。首相長男は昨年末、首相公邸で親族を集めて忘年会を開き、赤じゅうたんで組閣写真を模したような集合写真を撮っていたことを週刊文春、いわゆる“文春砲”ですっぱ抜かれた

▼新聞社系週刊誌として最古の歴史を誇った週刊朝日と、約30年遅れの出版社系週刊誌との60数年後の明暗である

▼週刊朝日の退潮にはいろいろな理由があげられているが、落日を決定づけたのは平成24年、橋下徹大阪市長(当時)を題材にした連載記事だろう。部落差別を助長させると批判され、初回で連載中止。全面謝罪に追い込まれ、信用を失墜させた

▼当時は別法人として一切の釈明に応じようとしなかった朝日新聞の代表コラム「天声人語」が、当日「さようなら、週刊朝日」として最終号や編集会議の内容など、自社同然の取材ぶりで報じていた。表紙が同誌編集部の一コマを表した「ユーモラスに再現した写真」とあったが、同誌によると写真家に依頼した“演出写真”

▼週刊朝日を150万部のトップに押し上げた扇谷正造は編集方針の軸に品位を置いたという。スキャンダルや盗撮を退けたというが、躍進のきっかけは太宰治と心中事件を起こした女性の手記だった

▼隆盛から没落まで、出版社系の“新潮ジャーナリズム”を体現し、一時200万部を超えた写真週刊誌『FOCUS』に似ている。最後の編集長は「無念やるかたなし」。週刊朝日同は「記録だけでなく、人々の記憶にとどめたい」。