2022年7月6日(水)

▼三重県が条例に反して667件の公文書を廃棄していた問題で、県議会の前野和美議長が「県民に対する裏切り」、藤田宜三副議長も「議会としても個人としても許しがたい」

▼県民の気持ちを率直に代弁した言葉としてポンと膝を打ちたくなるが、前野議長が続けて「処分について発言するのは執行部の立場。我々から強く意見を述べるつもりは毛頭ない」。県民の代表が県の違法行為に物申すのに、何か〝聖域〟みたいなバリアでもあるのだろうか

▼「身内に甘い」というのは警察官などの不祥事に当局が下す処分に対してしばしば言われることだが、正副議長が口を極めて非難する行為に、県は「実害はなかった」と突き放して処分の検討もしない。「身内に甘い」最たる判断ではないか

▼不祥事に対する処分はむろん県の権限だが、その内容については、議会はしばしば強く意見を述べてきた。最近ではRDF(ごみ固形燃料)焼却・発電事業の総括で、当時の北川正恭知事の責任を追記するよう要請した。PTA資金を横領するなどした元校長に対し、退職金返納請求を強く求めて実行させたこともある

▼議会が責任の明確化を求め、県は処分で応える―が議会と執行部が車の両輪ということではないのか。議会は県の最高議決機関で、執行部の監視機関でもある。処分の行方をしっかり見定めて適切な意見を述べることも、県民から負託された責務だろう

▼県立看護大の学費を引き上げた問題など「県職員としてあるまじきこと」(藤田副議長)が続く。監視機関としての責任も問われていると言わねばなるまい。