<三重と古事記>機知に富んだ采女

【島泉丸山古墳(伝雄略天皇陵、大阪府羽曳野市島泉)】

ヤマトタケルの時代からずっと下った五世紀後半、三重の采女(うねめ)と呼ばれる女性がいて、オホハツセワカタケル(大長谷若建命)の宮廷に仕えていた。ワカタケルというのは第二一代雄略天皇のことで、ヤマト王権が日本列島を統一するのに大きな力を発揮した大王である。古事記には、即位に至る権力争いなど血なまぐさい伝承がいくつも伝えられている。

采女というのは、地方豪族の娘や妹の中から選ばれ、天皇の身の回りの世話などをする女性をいう。時には、天皇に見初められて子を生むこともあり、天皇以外の男性との許されない恋のヒロインにもなる。三重は前回も出てきた地名で、その地を支配する豪族の娘が采女として天皇に奉仕したようで、四日市市采女町にその名が遺(のこ)る。

ある年の新嘗祭の折、三重の采女は大きな盃に酒を満たして天皇に奉る役を仰せつかる。その晴の場で、ケヤキの葉が捧げた盃に散り落ちたのに気づかないままに、天皇に盃を差し上げる。落ち葉に気づいた天皇は激怒し、太刀を抜いて采女の首を斬ろうとする。オホハツセの直情的な性格がよく表れたエピソードだが、采女は騒がず、ちょっと待ってほしいと言って天皇賛美の歌を歌う。長いので全体を引用する余裕はないが、宮殿に生えた槻(つき)(ケヤキ)の葉が舞い落ち盃に浮かぶさまを、海の中の島に見立ててみせたのである。

上(ほ)つ枝(え)の 枝(え)のうら葉(ば)は
中つ枝に 落ち降(ふ)らばへ
中つ枝の 枝のうら葉は
下(しも)つ枝に 落ち降らばへ
下つ枝の 枝のうら葉は
ありきぬの 三重の子が
捧がせる 瑞玉盃(みづたまうき)に
浮きし脂(あぶら) 落ちなづさひ
みなこをろこをろに
こしも あやにかしこし
高光る 日の御子
最後の三行は、「水もコヲロコヲロと(かき回し作った)畏れ多くもオノゴロ島でございます、日の御子さま」といった意味。浮かんでいるのはただの島ではない。盃に浮かんだ葉をとっさの機転でイザナキとイザナミによる国生み神話で最初に誕生したオノゴロ(自凝)島に見立てたのだ。「こをろこをろに」は古事記の国生みに出てくる言葉だったために、さすがのオホハツセも采女の気の利いた対応に感じ入り、太刀を収めた。

律令の規定には采女は「形容端正」な者とあって美人が条件だが、三重の采女にはもう一つ、十分な知性も備わっていたのである。その知性が自らの命を救ったというのは、三重県人としてとても誇らしい気がする。