2021年10月20日(水)

▼戦争中の勤労奉仕で空腹の夜、近くの畑に分け入り、持ち主の農家と約束していたトマトをもいでほおばる。水分たっぷりの実がのどを通り、五体に生気がみなぎる―そんな記述を読んで、戦時下の学生の青春を感じたのは森山真弓元官房長官の著書『女と国会とコーヒーカップ ナイロビへの道』だったか『非常識からの出発 女性官房長官・激動の六か月』か

▼両書を含めて数冊、森山元官房長官の本を読むようになったのは、大相撲の内閣総理大臣杯を土俵上で授与しようとして、日本相撲協会から女人禁制が不文律だと拒否され、女性差別問題が沸騰したからだ。のちの文部大臣の時は、選抜高校野球の始球式を務めている。選択的夫婦別姓制度推進・婚外子差別撤廃派でもあった

▼労働省時代の婦人少年局で、すぐの先輩に、初の女性大使となり「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」に日本代表で署名した高橋展子がいて、後輩に民間登用の文部大臣、赤松良子さんがいた

▼男女機会均等法は森山官房長官が尽力し、赤松婦人局長が立案した。赤松文相は高校野球の丸刈り強制や甲子園のベンチに女子マネジャーが入れないことを批判。のち改められている。十数年後の後輩には郵政事件で逮捕され、復職後厚労省事務次官になった村木厚子さんがいて、安倍政権の女性活躍を支えた―。女性地位向上の系譜を感じる

▼政界引退後は平成29年まで尾崎行雄記念財団理事長兼同財団・咢堂塾の塾頭を務め、選挙年齢の18歳引き下げを、普通選挙に尽力した咢堂を引き合いに喜んでいた。合掌。