<まる見えリポート>志摩 定期航路「浜島航路」廃止 72年の歴史に幕

【紙テープで定期船に別れを告げる地元住民ら=志摩市の浜島港で】

三重県志摩市の英虞湾で浜島―御座―賢島間の航行を続けてきた定期航路「浜島航路」が9月30日に廃止を迎えた。海上交通の要として愛されてきたが、近年はマイカーや路線バスの利用増加により利用者が落ち込んでいたところに新型コロナウイルスが追い打ちとなるなど時代の波にはあらがえず、通算72年間の歴史に幕を下ろすこととなった。
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同航路は地域住民の交通手段として昭和24年、旧志摩航運が事業免許を取得して開設。平成12年に現在の運営会社である志摩マリンレジャー(鳥羽市鳥羽一丁目)が事業を引き継ぎ、運行を続けてきた。

昭和42年から平成元年までは、御座―浜島間でカーフェリーも就航。自家用車だけでなく三重交通の観光バスが利用するなど、観光需要の受け皿としてにぎわいを見せていた。

しかし、国道260号をはじめ主要道路の整備や路線バスの拡充などに伴い、同航路の利用客は平成13年の1万5512人をピークに減少。多くを占めていた県立水産高校への通学利用者も、徐々に鵜方から走るスクールバスへと移行するようになった。

航路維持のため旧志摩町と旧浜島町からは年間合計300万円の補助金が拠出されていた。市町村合併後は賢島―和具航路と合わせて、志摩市から年間800万円前後の補助金が拠出されていたが、累積する赤字を埋めるには至らなかった。

同社は平成30年、航路廃止を前提に住民説明会を開催。存続を求める地元住民らの強い要望を受けて一度は廃止を撤回したが、昨年からの新型コロナウイルス感染拡大に伴う観光需要の減少が決め手となり、この3月、航路廃止を発表した。昨年1年間での航路利用実績は1002人だった。

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9月26日、浜島地区自治連合会の役員8人が「最後の乗船」に臨んだ。7時50分浜島発の始発便で御座を経由して賢島まで往復約1時間20分の船旅。低気圧の影響であいにくの悪天候となったが、参加者らは船窓からの景色を眺めながらそれぞれの思い出話に花を咲かせていた。

「焼球エンジンといって昔は船が動き出すまでに長い時間がかかってね―」。水産高校への通学に定期船を利用していたという柴原宏啓さん(79)は当時を振り返る。学生時代は毎朝定期船で浜島から御座に向かい、そこから自転車で通学する日々を過ごしていた。「船を下りるときはロープで船を固定する作業を手伝うこともあった。学生みんなで校歌を歌いながら帰ることもあった」と懐かしむ。

同連合会長の森安千代さん(74)も水産高校への通学に定期船を利用していた一人だ。当時は浜島町にも多くの商店が立ち並び、御座から定期船を使って商品を卸しに来る事業者や、診療所への通院に利用する人が行き交っていたという。

森さんは「昔は遠洋漁船の基地もあり、栄えていた時代を象徴していたと思う。なくなるのは非常に残念だが、利用者も少なくなっては仕方ない」と残念がる。

運行最終日の30日、浜島港周辺では浜島地区自治会連合会を中心とした地元住民らの主催による感謝の集いが開かれた。海ほおずきで開かれたセレモニーでは、関係者約20人が見守る中、森会長から志摩マリンレジャーの八尾弘社長に感謝状と花束が贈られた。

八尾社長は「道路も整備されて公共交通機関としての社会的使命を果たしたと考えている。72年間利用いただき、支えてくれた関係者に感謝している」と感謝の言葉を述べた。

定期船の前田幸治船長とは水産高での同級生という橋爪政吉市長は、「感謝の集いはこれまで地域にご尽力いただいた形の現れと感じている。残る航路もあり、引き続き公共交通の担い手としてご尽力をお願いしたい」とねぎらった。

セレモニーの後、参加者らは運行を終えた定期船「おおさき」を見送るために波止場に移動。蛍の光の演奏が鳴り響く中、参加者らは船から渡された色とりどりの紙テープを手に、小さくなっていく定期船を見送り続けていた。

同社によると、定期船おおさきは賢島―和具航路へと引き継がれ、運行を続ける予定としている。