<1年を振り返って>尾鷲三田火力発電所の煙突撤去 惜別、市のランドマーク

【大型クレーンによる解体工事の最終日の今月5日、クレーンで地上に下ろされる煙突の一部=尾鷲市で】

平成30年12月に廃止された三重県尾鷲市国市松泉町の中部電力尾鷲三田火力発電所跡地(現・尾鷲三田工事所)に立つ高さ230メートルの煙突が姿を消した。同市のランドマークとして30年以上にわたって親しまれてきた煙突。市民からは「ありがとう」や「お疲れ様」というねぎらいの声が上がった。

発電所は昭和39年に運転を開始。熊野灘の海や山、空をイメージして3色で塗装された煙突は3号機増設に合わせて61年に建設され、62年に運転を開始した。こいのぼりを掲げたり、イベントなどでライトアップしたりと市民らに親しまれてきたが、発電所の廃止に伴い、煙突も解体されることとなった。

煙突の解体は、飛行機などが衝突しないよう24時間点滅していた「航空障害灯」を4月に消灯させるなど解体前の準備を進め、8月5日から工事を開始した。クレーンが届かない頂上から14メートルは、作業員がゴンドラで頂上に上がり、ガスで約50センチ角に溶断するなど手作業で解体。その後は煙突の切断部を225メートルの大型クレーンでつり、手作業で1本ずつ24分割した。

今月5日、クレーンによる解体作業を終えた。3本の煙突を支えていたコンクリート基礎や煙突の一部、タンク、タービン建屋は、来年6月25日までに解体する予定。

尾鷲市内では、煙突などの解体工事の様子を収めようと、何カ月もの間、カメラを向ける写真愛好家らの姿が見られた。同市の自営業湯浅祥司さん(71)もそのうちの1人だ。

湯浅さんは、2月下旬から、市内5カ所で日に日に低くなっていく煙突にカメラを向け続けた。今月上旬までに撮りためた写真は5千枚にのぼる。昭和61年ごろには、発電所構内のタービン建屋の配管工事に携わった経験があり、思い入れがあるという。湯浅さんは煙突などの解体工事で「町の雰囲気ががらっと変わってしまった」と言い、「長い間よく働いてくれた。お疲れ様、ありがとうと言いたい」と語った。

県立熊野古道センター(同市向井)職員の橋本博さん(53)は「尾鷲の象徴的存在だった煙突を記録にとどめ、後世に残したい」と、3月中旬から今月7日まで、センターの芝生広場から、煙突の撤去工事を中心に定点観察を続けてきた。

同市出身の橋本さんは「高校2年の夏休みに発電所でアルバイトをした」と懐かしみ、「経済効果を考えると跡地を有効活用してもらいたいが、昔のように、きれいな砂浜に戻ってほしいという気持ちもある」と話した。

解体工事で全国を回っているという作業員は「尾鷲市民は煙突に対して意識が高い。煙突がシンボルとなったり、愛着を持ったりする住民は尾鷲が初めて」と話していたという。橋本さんは今後、撮影した動画と写真を展示する考えだ。

尾鷲三田工事所によると、11月1日現在で、発電設備の撤去工事の進捗率は80%、燃料設備の撤去工事は75%。