2019年7月29日(月)

▼社会面の隅の小さな訃報記事が数日前、目にとまった。大谷光司氏。95歳。元鈴鹿市議会議長とある。遠い記憶がかすかに浮かぶ。市の資料配付を受けた記事だが「業績などは特になかった」と同僚が言った

▼言葉を交わしたことはほとんどなかったが、長野県安曇野出身という。鈴鹿市が紡績で栄えたころ、東洋紡社員として市に移住したのだろう。同労組を母体に市議に当選。鈴鹿工場が閉鎖されてからは、その跡地利用を一任され、公共や民間の用地買収交渉に「細切れの売却はしない」との方針を示し、退けてきた

▼結果的に、4年制の理工系大学をつくろうとした職能団体日本放射線技師会と、市に大学を誘致することを公約にした当時の衣斐謙譲市長との思惑にぴたりとはまり、跡地に鈴鹿医療科学技術大学(現・鈴鹿医療科学大学)が平成3年開学することになる

▼同会は財産のない団体と言われ、当初は市から見向きもされなかった。本部(東京)の所有地の売却益が見込まれることで態度を翻した。東洋紡跡地の買収は市が担当し、同会理事長個人名義で登記。大学に一定資産がなければ設立認可をしない文部省の基準をくぐり抜けた

▼関連の財団法人が大学の設備を一手にまかなうなどして県の調査対象となって組織を一新するなど、将来を危ぶまれもしたが、X線技師養成という確実に需要のある学部を基盤に幅広く展開。のちの鈴鹿国際大学誘致戦略にも有利に働いた

▼その名を冠したゴルフ大会が昨年開かれ、末松則子市長も参加した。戦後の市とともに歩み貢献した1人であるには違いない。