2018年12月5日(水)

▼「仕事の中に疑問を感じて口に出し、組織で解決することを評価する人事制度が必要」と石田成生議員。「誤りに気付き自ら正すための行動が実践できる職員を育成する」と嶋田宜浩総務部長。本紙の県議会焦点採録に見る障害者雇用率の算定誤りをただす質疑と応答は呼吸がぴったり。何か問題があったのかという気がしてくる

▼いやいや、嶋田部長の巧妙な答弁術かもしれぬと改めて気持ちを引き締めてみる。10月の常任委員会では「国などでは水増しと言われるが」として「県の場合はあくまで事務のミス。決して意図的ではない」と言っていた

▼ミスの内容も「(障害者が手帳を持ち続けているという)担当者の思い込みなどが誤りの原因」。単純ミスで「自ら正すための行動の実践」などという大げさな受け止め方ではない。せいぜいが基本作業を忠実に―。「ケアレスミスに気をつけよう」という程度だから、質問とかみ合っているのかどうか

▼そもそも「誤りに気づく職員を育成する」という答弁が自己撞着の気がする。ああ言えばこう言う、が職員気質というのは長年接してきた実感だが、その後上司から謝られたことも一再ならず。報道機関と論争して得なことは何もないという処世術ばかりではなく、明らかな無理筋でも認めようとはしないのだ

▼「遺憾」が行政用語では、けしからんと陳謝の正反対の意味として使用される。「反省しなければならない」という言葉も、本人以外や時期を逸してから使われる。「意図的ではない」も免罪符としての行政用語。そもそも「誤り」を口にする職員がいない。