2018年4月27日(金)

▼麻生太郎副総理兼財務相が財務事務次官のセクハラ疑惑について「はめられて訴えられているんじゃないかとか、世の中にご意見ある」。録音は自らの身を守るためだったというテレビ朝日の説明は疑問だということだろうが、録音が身を守ってくれるという考え方自体は、報道の現場でそれほどとっぴではない

▼自民絶対多数時代の県議会で、各会派交渉の舞台裏を書いたら座長の自民県議から事実と違う、取材もせずに書いたと控室への出入り禁止を宣言されたことがある。自民県連幹事長に確認したと説明したが、本人に知らんと否定されて万事休す。以来、録音機は手放せなくなった

▼右翼の街宣車に連日会社周囲をぐるぐる回られ、深夜の訪問を受けた時も、録音機が唯一身を守る武器だと信じて疑わなかった。子どもはいるのか、いくつだ、どこの幼稚園かなどと聞かれ、警察に促されて脅迫罪で告訴したが、録音データも提出した

▼「あまり怖がっているようでもないが」が、録音を聞いた検察官の第一声だった。相手が争う気なら弁護側が必ず突いてくるところだというのだ。現場責任者として応対していて震え上がっている心をさらけ出すわけにはいかないじゃないかと言ったが、録音データは両刃の剣。こちらに有利になるばかりとは限らないことを思い知った

▼どういう事態の時に身を守ろうとするかは人それぞれ。男と女でも大きく違おうが、武器として録音機を持つ行為は変わるまい。「全体を聞けばセクハラではないと分かる」が財務事務次官の言葉。あの時の右翼のことを思い浮かべてもみる。