2018年8月17日(金)

▼昭和初期に隆盛だったと伝え聞く紋切り型の新聞記事風に言えばこうなろうか。「さしもの百戦錬磨の刑事らも口あんぐり」

▼鈴鹿の解体作業員が遺体で見つかった事件で、警察は新たに妻の母親を殺人未遂容疑で逮捕した。妻と妻の愛人による共謀という陳腐なケースに、妻の母親も絡んでいるというのだ。「口あんぐり」することなしにかける疑いではあるまい

▼妻の逮捕時点で、異様な気配を感じさせはした。夫とは息子と同年齢の友人として知り合ったのがなれそめだが、その息子に、夫の様子がおかしいから探してくれと頼み、息子が遺体を発見した。息子に疑いがかかるのを避けるのが、犯人が母親の場合のサスペンスドラマの定番だが、わざわざ巻き込んだことになる

▼息子もえらい災難だが、何とその母親の母親は事件直前に娘の愛人とともに義理の息子を襲っているというのだ。母親もまた、娘が罪を犯そうとするの知ったら何とか思いとどまらせようとする世の母親とは違うということだろう

▼義理の息子が逃げたから未遂だが、その襲撃から派生した流れの中で義理の息子は殺されているという。事実とすれば、いわゆる未遂に終わったと言うにはいささか違和感のあるほど直接的役割を担っている

▼家族とは何かを考えさせられる。万引きをすることで疑似家族の絆が強くなるのが是枝裕和監督の『万引き家族』で、世界から絶賛されたが、ヒントは家族の死を隠した年金の不正受給だった。エゴか本能か。愛憎むき出しに見える殺人事件も、是枝監督の手になれば芸術の域に昇華されるのだろうか。