-手柄は社員に、失敗は社長に 料理の腕はプロ顔負け- 「アクセス」社長 下田久行さん

【「世の中になくてはならない企業であり続けたい」と話す下田さん=四日市市西日野町で】

 四日市市の電気工事会社で配電設備保安工事に8年間携わった後独立し、平成12年に同市笹川で「アクセス」を創業した。翌年に法人化し、同16年に本社を西日野町に移転した。ケーブルテレビへの切り替え工事から始まり、インターネット環境を整えるインフラ工事、携帯電話の無線基地局整備工事、電力会社の配電線保安工事へと通信技術の進歩に伴う工事の増加で業績を伸ばしている。

 「社員あっての会社。成功は社員の手柄、失敗は社長の責任」の精神の下、社員それぞれに担当する仕事のスケジュール管理を任せている。「向いている方向が同じであれば、マニュアル通りでなくとも結果はついてくる。主体は会社ではなく社員です」と話す。職場環境の改善を目指し、2年前から働き方改革を推進、実践している。

 毎朝、会社から現場に向かう社員らの体調を気遣いながら送り出す。顧客から「いい従業員さんですね」「アクセスさんに任せて良かった」と言われることが何よりうれしい。社員6人とその家族全員が大切なアクセスファミリー。年に数回、親睦旅行や家族ぐるみの食事会、妻公子さん(55)は社員の妻たちとの女子会で交流を深め合っている。

 兵庫県で生まれ、3歳の時に父の実家がある四日市に移り住み、仕立職人だった父が紳士服店を開業した。幼少期は自転車の構造に興味を持ち、近くの自転車店に通っては、分解や組み立てなど店主の技術を見よう見まねで覚え、小学6年生でパンク修理もできるようになった。

 中学時代は廃品置き場から壊れたテレビを持ち帰り、電子基板を取り出してラジオ作りに夢中になった。そんな息子の将来を心配する両親を安心させるため、心機一転して受験勉強に打ち込み、四日市高校に合格した。卒業後は愛知工業大経営工学科に進学した。だが将来、大学を卒業してサラリーマンになる自分の姿がどうしてもイメージできず悩んだ末、手に職を付けようと2年で中退した。

 その後、四日市の工業用計装機器の販売・修理会社でコンビナート企業のプラント定期修理や保守業務を3年、1部上場の化学製品製造会社で4年間の交代勤務を経て、叔父が興した配電保安工事会社に誘われ、ようやく「これだ」と思える仕事に出合った。叔父の下で8年間経験を積んで独立、アクセスを起業した。ケーブルテレビやインターネット、携帯電話の普及に伴う工事が急増し、業績を飛躍的に伸ばした。

 1人息子の祐輔さん(30)が独立後は、妻公子さんと2人暮らし。若い頃からの食べ歩きの趣味が高じて、いつからか自分で作るようになり、今ではジャンルを問わずどんな料理も手際よく仕上げる。「居酒屋しも田」と友人らが名付けた自宅キッチンでプロ顔負けの料理の腕を振るう。

 珍しい食材が手に入ったときは、社員や親しい友人らに「居酒屋しも田、オープンです」と連絡し、にぎやかに食事を楽しむ。「昨年から大人数の食事会は自粛しているが、コロナの終息が待ち遠しい」と話す。

 6年ほど前、タイを訪れる機会があり、現地で、働きたくても仕事がないという若者の多さに驚いた。「日本で技術を学び、自国で仕事ができるようになれば」と、何度も足を運び構想を練り始めたが、タイ国家の情勢不安によって計画は頓挫した。同国の安定を待って再度チャレンジしたいと考えている。

 「情報通信技術(ICT)の急速な進化によって、ライフスタイルもワークスタイルも大きく変化する中で、我々のような裏方の仕事は必要不可欠です。この仕事に誇りを持ち、世の中になくてはならない企業であり続けたい」と意欲を語った。

略歴: 昭和40年兵庫県生まれ。同60年愛知工業大学経営工学科中退。同年工業用計装機器販売会社入社。平成元年化学製品製造会社入社。同5年配電保安工事会社入社。同13年「アクセス」創業。同23年第1種電気工事士免状取得。同25年第1級陸上特殊無線技士資格取得。