-ミニトマト生産トップ級 新たな価値、研究開発- 「あさい農園」社長 浅井雄一郎さん

【「研究開発型の農業カンパニーを目指しています」と話す浅井さん=津市高野尾町で】

 津市高野尾町の「あさい農園」は、大阪から津に移り住んでサツキツツジの栽培を始めた高祖父の故常三郎さんが明治40年に創業。公園緑化需要が高まった高度経済成長期に、祖父の故正夫さんによって飛躍的に実績を伸ばした。しかし、その後の経済不況で事業縮小を余儀なくされた。

 平成23年、不況が続く中、4代目の父常生さん(70)から経営を引き継いだ。試行錯誤の末、需要が減ったサツキや庭木の苗作りハウスの一部を活用したトマト栽培に活路を見いだした。現在は県内外7カ所の農園で栽培するミニトマトを主に、キュウリ、ナス、パプリカなど施設・露地栽培の野菜を生産し全国各地の量販店や生協、レストランなどに出荷、ネット販売も手掛け、ミニトマト生産量トップクラスの企業となった。

 津市で3人きょうだいの長男として生まれた。小学時代、父からスキーの楽しさを教わり、中高6年間は競技スキーに打ち込んだ。陸上部で基礎体力を養い、高2で全国高等学校スキー大会出場を果たした。「スキーをきっかけに、人生の師でもある先生と出会えたことで心身ともに成長できた」と亡き恩師をしのぶ。

 卒業後は兵庫県の甲南大理学部に進学し、入学後すぐに父の勧めで米・ワシントン州の大規模種苗会社で3カ月間インターンシップ体験をした。品種改良や増殖技術、新品種の開発などに携わり、それまで抱いていた農業の負のイメージが払拭(ふっしょく)され、ビジネスとしての農業に強く引かれるようになった。

 「日本の農業を、そして高祖父から続く家業を一新しなければ」と心に決めた。以来、勉学の傍らアルバイトに励み、ためたお金でアジアや欧州、南米各国を旅した。各地の農業の規模や機械化、真剣に取り組む人々の姿を見て歩き視野が広がるにつれ、農業の無限の可能性に一層情熱をかき立てられるようになった。

 卒業後は、全国農業協同組合連合会(JA全農)や医療業界を主な顧客とする経営コンサルティング会社に入社し、2年間実務に携わった。その後、環境エネルギーを開発するベンチャー企業で3年半、事業開発を経験した。「農業に対する自分のスタンスを確立できた意義ある5年半だった」と振り返る。

 平成20年、郷里に戻り「あさい農園」に入社した。サツキや庭木の挿し木、剪定(せんてい)方法などを父から教わり、造園業や建設会社への営業活動を始めたが、折からの世界同時不況のあおりで植木の需要も激減した。低迷する家業を何とか立て直そうと模索し、植木苗ハウスの一部でミニトマトの試験栽培を始めた。

 収穫したミニトマトを試食した津市を中心に展開する食品スーパー「マルヤス」の社長は「うまい、このトマトなら絶対売れるからもっと作れ」と背中を押してくれた。それが自信となり、従業員を増やして施設の拡充を図り、海外品種の研究に取り組みながら改良を重ねた。

 ブドウ状に実る房採りや楕円(だえん)形で高糖度のスナックトマト、色も赤や黄をはじめ、オレンジ、緑、白、紫など多彩なミニトマトを次々と開発。昨年、デンソーと共同開発した世界初となるトマト収穫ロボットを導入した。併せて、完熟のキウイやアボカドの栽培にも着手している。

 妻と息子3人の5人家族。休日は息子たちとサッカーを楽しんだり、友人家族らとバーベキューをしたりして過ごす。「家事と育児に大変な妻の労をねぎらいたい。子どもたちにはそれぞれの夢に向かってチャレンジする大人になってほしい」と話す。
「『植物と一歩先の未来へ』の理念の下、植物の可能性を探究し、新たな価値を創造する研究開発型の農業カンパニーを目指しています」と目を輝かせた。

略歴: 昭和55年生まれ。平成15年甲南大学卒業。同20年「あさい農園」入社。同23年「あさい農園」社長就任。同28年三重大大学院修了、博士号取得。同30年農業経営学会実践賞受賞。同年県初のグローバルGAP取得。令和2年農業情報学会農業イノベーション大賞受賞。