-備長炭、串焼きに一新 ゼロから出発、伝統を進化- 「うな勢」社長 市橋政季さん

【「地元で長く愛される店にしていきたい」と話す市橋さん=四日市市城西町で】

 四日市市城西町の「うな勢」は、志摩の老舗鰻屋 「川八」四日市支店の閉業に伴い、料理長を務めていた義祖父の故木本一誠さんが、昭和47年に同市伊倉で独立開業した。老舗の味を低価格で楽しめるとあって人気店となり、同58年、義父雅士さんの代に店舗を拡大して現在地に移転した。

 平成29年、会長に退いた義父を継いで3代目となった。九州・鹿児島の湧き水で育って身が締まり、本来の甘みがあるウナギ、100年続く「川八」伝統のたれ、伊賀米特Aランクのこしひかり、素材全てにこだわり備長炭で焼き上げたウナギ料理を提供している。

 2階建ての店内にはテーブル席と座敷180席を配置。1番人気はうな重、刺し身、う巻きなど全7品の「丼定食」、ファミリーサイズの「ひつまぶし」ジャンボやメガジャンボも人気メニュー。コロナ禍で来店者は減少したが、その分、テイクアウトの人気が高まっている。

 愛知県犬山市でそろばん塾を営む両親の下、2人兄弟の次男として生まれた。読書好きでおとなしい兄と違い、いつも外で遊ぶ活発な子だった。小3からソフトボールを始め、中学3年間は軟式野球に打ち込んだ。高校時代はグラウンドホッケー部に入り、2年生の時にはインターハイ出場を果たした。

 卒業後は、静岡大学農学部に進学し、生物生産科でバイオテクノロジーを学んだ。遺伝子についてより深く学びたいと大学院に進み、植物病理学を修めた。

 大学院修了後、「ユニ・チャームペットケア」(現ユニ・チャーム)に入社し、兵庫県伊丹市の開発部に勤務するようになった。ドッグフードの開発研究と多様化する顧客のニーズに応えるためのマーケティング調査などに携わり、自身が開発した商品が市場に出ることにやりがいを感じていた。

 大学の同学部だった紗帆さんと27歳で結婚。残業や出張が多くなる中、子どもの寝顔しか見られない日々にこれでいいのだろうかと自問自答するようになった。30歳を前に海外開発チームに入り、数年後には単身赴任の可能性が高まった。2人目の子どもの出産を控えていたこともあり、家族と過ごす時間を大切にしていこうと夫婦で話し合い、妻の父親が経営する「うな勢」を継がせてほしいと相談に訪れた。

 当時、シラスウナギの激減による高騰で値上げを余儀なくされ、自分の代でうな勢を終える心積りだった義父に「大企業を辞めてまで継いでもらう必要はない」と一蹴された。初代と義父母が築き上げてきた店を継ぐことの重大さを再認識した。それでも諦めず、退社を決意した上で再度頭を下げた。「そうか、大変だがやってみるか」と義父は承諾してくれた。

 包丁を握ったこともないゼロからの出発。ウナギのさばき方から焼き方、伝統のたれの仕込みなどの基本を義父母から教わった。その後、県内外の専門店で研修を受けた。中でも「うな勢」で修行した職人が継いだ志摩市の鰻屋「東山物産」の、串に刺して炭火焼きしたウナギの香ばしさ、表面はさくっと中身はふっくらとジューシーな食感に衝撃を受けた。

 ガスで網焼きだった「うな勢」の焼き方を、備長炭での串焼きに一新した。常連客らから「皮がパリッとして以前よりうまくなった」「香ばしさが増した」などの声が届くようになり、「伝統は守るだけのものではなく、より進化させていくべきもの」と実感した。

 妻紗帆さんと7歳、5歳、3歳の娘、4カ月の長男の6人家族。「共に店を盛り上げ、子育ても手伝ってくれる義父母、義姉妹家族に感謝です」と話す。

 「店を大きくするためにした苦労は最良の思い出」と話す義父母が生涯のお手本。「従業員とともに、お客さまの五感を満たす味と目配り、気配り、心配りで期待を超えるおもてなしを追求し、地元で長く愛される店にしていきたい」と目を輝かせた。

略歴: 昭和59年愛知県生まれ。平成20年静岡大学大学院修了。同年「ユニ・チャーム」入社。同26年「うな勢」入社。同29年「うな勢」社長就任。