-「できる方法」を考える 妻と子の笑顔が仕事の活力- 「坂部運送」社長 松林繁久さん

【「お客様から選ばれる企業を目指していきたい」と話す松林さん=四日市市上海老町で】

 四日市市上海老町の「坂部運送」は、東坂部町で農協の集配業と倉庫会社として昭和44年に創業。平成6年、役員を務めていた父泰文さん(72)が3代目社長に就任後は、大手自動車部品メーカーの東海地区エリアを担当する運送業務に移行し事業を拡大した。昨年末、創業50周年を迎えた。

 今年4月、会長に退いた父から経営を引き継いだ。「一瞬の躊躇(ちゅうちょ)が機会を逃す」を教訓とし、「できるかできないかではなく、やるかやらないかと自身に問い、できない理由を探すのではなく、どうしたらできるか」を探る精神で、社員55人と共に業績を伸ばしている。

 四日市市で2人きょうだいの長男として生まれた。幼少期は人見知りで、おとなしい性格だった。中高6年間はテニスに打ち込み、共に汗を流した部員との交流で人見知りもなくなり、高校時代の仲間とは今でもたびたび会って昔話に花を咲かせる生涯の友となっている。

 進学した松阪大学(現三重中央大学)の教育方針になじめず1年で中退。鈴鹿国際大に入学して国際関係学科で学ぶ傍ら、アルバイトにも励み車を手に入れた。車の補修や同級生らとドライブに出掛けるのが休日の楽しみになり、将来は車に関わる仕事をしたいと思うようになった。

 大学卒業後、大阪のホンダ関西自動車整備専門学校に通い始めた。車の構造がパズルのように組み合わされ、仕組みが理解できるにつれ車への興味がますます深くなった。整備士資格を取得して四日市のホンダ車の販売・整備会社に入社した。やりたかった整備ではなく営業に配属されたが、車を介して顧客と接することにやりがいを見いだしていった。

 就職から2年を迎えようとしていた頃、父から電話で「うちの会社にくる気はないか」と聞かれた。突然のことに驚いたが「行きます」と即答した。それまで仕事を継いでくれと言われたことはなかったが、仕事も家庭も大切にし、周囲の誰からも慕われている父が誇らしく、尊敬してきた父の言葉がうれしかった。

 26歳で坂部運送に入社した。荷物を積んだトラックに同乗してドライバーの仕事を学ぶことから始め、配車業務や労務管理、顧客対応、見積り作成などの実地研修で全体的な流れを把握し、4年ほどでようやくスムーズに指示を出せるようになった。長年、顧客との信頼関係を築くことに力を尽くし、社員の生活を守るだけでなく、趣味を楽しむ時間も大切にしている父の人間としての魅力を改めて実感した。

 2年ほど前から、父に社長交代を打診されていた。そのための準備はしてきたが、今年初めに「もう大丈夫だろう。お前に任せる」と言われ、父から社長を引き継いだ。社員が安心して働ける職場作りを心掛け、後継者として父の期待に応えようと心に誓った。

 ドライバー約50人が40数台の大・小車両で各地を走行する。安全運転を心掛けていても、予期せぬトラブルが起こることがある。何かあれば、まず顧客と会社に一報を入れ、一刻も早く元に戻す方策を講じることを徹底し、その後、同様のことを繰り返さないよう対策を考えることを全社員で共有している。「今後は無事故、無違反、皆勤などの報償も考えていきたい」という。

 妻宏美さん(38)と5カ月の長男夏希さんの3人家族。帰宅後は、長男をお風呂に入れたり、おむつを替えたりと育メンぶりを発揮している。「家庭には仕事を持ち帰らない主義です。休日は子ども中心の生活、愛する妻と子どもの笑顔が仕事への活力です」と話す。

 笑顔で出勤、帰宅してもらえるような労働環境を整え、社員とその家族をしっかり守るという父の志を継承している。「コロナ禍の経済不況の中でも、ドライバーの募集ができることに感謝です。全社員が心をひとつにしてお客様の期待を越えるサービスを提供し、お客様から選ばれる企業を目指していきたい」と意欲を語った。

略歴: 昭和51年生まれ。平成11年鈴鹿国際大学国際学部卒業。同13年ホンダ関西自動車整備専門学校卒業。同年ホンダプリモフォーカス入社。同15年「坂部運送」入社。同29年中小企業家同友会入会。令和2年「坂部運送」社長就任。