鈴鹿は憧れのまち 子どものときから乗り物好き ホンダ鈴鹿製作所長 中谷昌功さん

好きな言葉は「至誠一貫」と話す中谷所長=鈴鹿市平田町の本田技研工業鈴鹿製作所で

 鈴鹿市平田町のホンダ鈴鹿製作所は、昭和35年にホンダの国内3番目の工場として設立された。フィットをはじめ、軽自動車のNシリーズやハイブリッドカーを生産している。

 「子どものころから乗り物が好きだった」と話す。自身の記憶にはないが三、四歳のころ迷子になり、帰ってきて最初に描いた絵が線路だったと、両親から聞いた。「どうやら線路沿いに歩いて行ったらしい。そのころから乗り物に興味があったんだと思う」。

 小学校は自宅から約20キロも離れた奈良市内の付属小学校まで、電車とバスを乗り継いで通学していた。「行き帰りが楽しみだった」と楽しそうに振り返る。

 理科と数学が得意だったことから、大学では工学部に進み、機械設計について学んだ。「レースがしたい」と、車好きの仲間が集まり、自分たちでエンジンを組み立てて、鈴鹿サーキットでの練習走行に参加したことも、懐かしい思い出の1つ。「鈴鹿は憧れのまちだった」

 「自動車メーカーで働きたい」との思いから、ホンダに入社したのは25歳の時。工場実習として、鈴鹿製作所で9カ月間過ごした後、和光工場(埼玉県)を経て栃木製作所へ異動。

 栃木製作所では長年、技術者として新ラインへの設備導入など、生産技術の構築を中心に取り組んできた。「いつの間にか、自動車への興味よりも『より効率のよい設備を作ること』に、一層のやりがいを見いだすようになっていった」と話す。

 他社の製造設備メーカーと協力して仕事にあたる機会が多く、「仕事の姿勢は彼らから学んだ」と話し、「とにかく妥協しない。徹夜も辞さずに真摯(しんし)に取り組む姿勢は、今でも自分の原点になっている」と思い返す。「若いうちに、誰と出会うかは重要」と、さまざまな経験から得たことは「とにかく、がむしゃらにやること」。好きな言葉が「至誠一貫」というのもうなずける。

 「一つ道を究めると、横に展開できる。中途半端が一番いけない」と力強く話す。「頭に描いていた物が、実際の形になって完成したときの喜びは大きい」と、努力の先にある達成感や満足感を後輩たちにも伝えたい。

 鈴鹿製作所長に就任して三カ月弱。工場実習以来、約三十年ぶりの鈴鹿の地は、周りの風景がずいぶんと変わってしまったが、どこか懐かしさを感じる。

 まだまだ不慣れなことも多く、休みもほとんどない多忙な毎日だが、今は気分転換に自転車で海岸沿いを走ることが、楽しみの一つ。「今まで海が身近になかったから、白子港でコウナゴの水揚げを偶然見た時は、本当に感動した。海が近くにあると思うとテンションが上がる」と目を輝かせる。

 「栃木は部品事業だったが、鈴鹿は完成車事業で全然違う。まずは早く慣れて、現場との距離を縮めたい」と抱負を語った。

略歴:昭和35年生まれ。奈良県出身。61年ホンダ入社、平成13年真岡工場エンジン部品モジュールマネージャー、19年真岡工場長、22年栃木製作所長など歴任し、26年鈴鹿製作所長就任。