ー製造業の縁の下の力持ちー(株)「共同」社長 石垣和哉さん

【「必要とされ、選ばれる会社を目指したい」と話す石垣さん=四日市市新正で】

三重県四日市市新正の「共同」は、父龍生さん(71)が石原産業のプラントの設備・修理工事会社として平成3年に同市石原町で創業した。令和2年、会長に退いた父から経営を引き継いだ。

現在は、県内外の企業のプラント工事にも携わり、「製造業の縁の下の力持ち」をモットーに、社員30人と協力会社の従業員とで、誠実で丁寧な仕事を心がけている。

プラントの1カ月間の定期修理で、装置10基の入れ替え作業工程が思うように進捗(しんちょく)せず、残り1週間で終えなければならなかった時、依頼した協力会社が「困ったときはお互いさま」と専門職人10人を派遣してくれ、何とか間に合わせることができた。担当者から「よくやっていただいた」とねぎらいの言葉を受け、「頼もしい協力会社に心から感謝でした」と話す。

2年前、3Dスキャナーを導入し、プラントや配管などの対象物にレーザーを照射して3Dデータ化し、設計図(CADデータ)と照らし合わせ、現状と同じ物を立体的に見ることができるようになった。

これまでは断面・外観検査は目視が主流で、計測もノギスなどの測定器具での手作業だった。3Dスキャナー導入によって、現場でなくても自社工場でパイプの溶接加工や制作ができ、大幅な工期短縮が可能になった。「最先端技術を取り入れることで他社に先んじ、コスト削減にもつながっている」と話す。大きな仕事を終えた後は、打ち上げの食事会を開いて社員らと親睦を深めている。宴席では、社への要望や意見を気兼ねなく出してもらい、職場改善に努めている。

四日市で2人兄弟の次男として生まれた。地域のミニバスケットチームの監督を務める母容子さん(69)の影響で、幼少時からボールで遊んでいた。小学生になってからはチームに入って練習に励み、5年生で初めて市の大会に出場した。中学の3年間もバスケットボールに打ち込み、県選抜選手になった。

スポーツ推薦で茨城県・土浦日大高校に進学。バスケ中心の日々だったが、勉強も頑張り、常に上位を保っていた。3年生で茨城県の国体チームキャプテンとして宮城国体に出場した。また、全国高校バスケットボール選手権大会では、同校を7年ぶりにベスト4に押し上げた。「強い絆で結ばれた監督、仲間と共に流した汗と涙で見た景色。人生で一番充実していた時代、もう一度戻りたい場所」と振り返り、「あの経験があったからどんな困難も乗り切れる」と話す。

進学した順天堂大スポーツ健康科学部(千葉県)でも、健康学科で学ぶ傍ら、4年間バスケに打ち込んだ。1年からインカレ出場、2、3年ではスタメンとして出場したが、4年のリーグ戦試合中、右膝に大けがを負い競技人生が終わってしまった。

卒業後、東京都のIT企業「大塚商会」に入社。営業部通信販売課に配属されて事務機の営業に携わり、1年目で新人賞を獲得した。仕事にやりがいを感じていたが、25歳の時、「そろそろ戻ってくれないか」と父から連絡があり、退職して家業に入社した。

入社後は仕事内容を把握するため、「共同」の社員が働く現場全てを回った。石原産業の受注だけに依存せず、他企業の仕事にも参入しようと決め、前職の営業経験を生かして企業を訪問することから始めた。徐々に仕事を増やし、入社時に比べて業績は右肩上がりに伸び、社員も増やしていった。「一切、口出しせず広い心で見守ってくれる父に結果でお返しがしたい」と話す。

妻紗希さん(33)と2歳の長女紗子さんの3人家族。妻は本社隣でカフェを開業しており、母が子どもの世話をしてくれている。週末は、母が監督を務めるミニバスチームのコーチとして児童らに指導をしている。「練習成果を出して勝ったときの子どもたちの笑顔が最高にうれしい。妻の理解がありがたい」と話す。

「必要とされ、選ばれる会社を目指したい。現状に満足せず、常に進化を続け、どんな要望にも応えられる会社にしていきたい。それが、社員の暮らしを豊かにし、人が集まってくる会社へとつながることを確信している」と目を輝かせた。

略歴:昭和58年生まれ。平成18年順天堂大学卒業。同年大塚商会入社。同20年「共同」入社。同24年1級建築施工管理技士資格取得。同25年県産廃協会青年部幹事長就任。同年1級管工事施工管理技士資格取得。令和2年「共同」社長就任。