―信頼重ね下請け脱却― 外構・設計・施工「エクステリアアマノ」社長 高阪友厚さん

【「エクステリアアマノをより多くの方々に知っていただきたい」と話す高阪さん=鈴鹿市長太旭町で】

三重県鈴鹿市長太旭町の「エクステリアアマノ」は、工務店の下請け工事業として父の故正治さんが平成14年に創業した「天野左官」が前身。同18年に左官業から外構業にシフトし、社名を「エクステリアアマノ」に変更した。令和元年、亡くなった父の跡を継いで社長に就任した。

現在は社員9人とともに「お客さまがお客さまを紹介してくれるような仕事をする」ことをモットーに、元請会社として住宅地の造成、外柵、庭、駐車場造りなどを手がけ、北・中勢地域を中心に業績を伸ばしている。

施主の要望を基に、レンガやブロック、石などの外柵、植木や芝生、カーポート、門扉、照明に至るまでを平面図に起こす。2D設計を、どの角度からも見られる3Dの立体画像に再現して仕上がりのイメージを確認してもらいながら打ち合わせをする。細かい部分の色合いやデザインの検討と変更を経て、着工する。

30代半ばのオーナーからの依頼で、まだ幼い子どもの安全を考慮して庭の出口にアルミ引き戸を取り付けた。また、プライバシーを保つため外壁を高くしてリビングが外から見えない設計を提案した。和風住宅の20代夫婦から圧迫感のないオープンな外構にしたいと依頼され、石畳のアプローチとカーポート、枝垂れモミジやハナミズキで和の庭を演出した。いずれも「全てイメージ通りで大満足」、「家に庭木が映えて、想像以上の仕上がり」とうれしい感想を寄せてくれた。

楠町で4人きょうだいの次男として生まれた。幼少時は1歳下の弟と一緒に近くの楠漁港や鈴鹿川で遊んだ。小学時代はサッカー、中学では野球に熱中した。将来の目標が定まらないまま、四日市中央工業高校に進学し、地元の住友電装に就職し、自動車部品の試作品検査の仕事に携わった。

2年後、塗装会社を経営している父の友人の依頼で塗装の仕事に入り、先輩職人から技術を学び6年間腕を磨いた。塗装の仕事が面白くなり、たとえ1人親方でもいつか独立したいと思うようになっていた。結婚し、子どもが生まれたこともあり、父に家業に入りたいと話すと、「じゃあ手伝ってくれ」と受け入れてくれた。

入社後は重機の運転免許を取得し、先輩職人らの作業を手伝いながら、エクステリア全般の仕事の流れを覚えていった。休日返上で働き、5年ほどで現場を任せてもらえるようになった。父と共に、下請けから元請けになることを目指し始めた。これまで交流してきた大工や板金、塗装職人らと仕事を紹介し合いながら連携を強め、徐々に仕事量を増やしていった。ハウスメーカーからの依頼に加え、住宅オーナーから直接、外構の依頼がくるようになり、下請けを脱却することができた。

高齢になった父を補佐しながら、平成25年頃からは実質的に会社の切り盛りをするようになっていた。令和元年、体調を崩した父が亡くなり、2代目に就任した。

妻と短大生の長男、高校生の長女の4人と愛犬ブル君(フレンチブル、3歳)と暮らしている。子どもたちが大きくなり、そろって食卓を囲むことは少なくなってきたが、たまに時間が合うと皆が大好きな焼き肉を食べに出かける。「子どもたちにはそれぞれ好きな道に進んでほしい」と話す。

母と妻は経理、弟は専務、その妻は事務を担当して業務を支えてくれている。熟練職人の高齢化が進む中、求人をしても職人のなり手は少なく、3年前からベトナム人技能実習生を受け入れ始めた。真剣に仕事を覚え、真面目に働く実習生らに助けられている。

職人の意識も変ってきており、今は職人もサラリーマン。天候に左右されやすい職種だが、できる限り週休2日制を取り入れ、働きやすい環境を整えながら働き方改革を推進している。「下請けに頼らず、自社で完結できるよう事業規模を現在の倍に拡大するのが目標。エクステリアアマノをより多くの方々に知っていただきたい」と意欲を語った。

略歴: 昭和52年生まれ。平成7年県立四日市中央工業高校土木科卒業。同年「住友電装」入社。同9年塗装会社入社。同15年「天野左官」入社。同18年「エクステリアアマノ」に社名変更。同24年楠町商工会入会。令和元年「エクステリアアマノ」社長就任。

略歴: