―一生使える国語力― 作文・小論文指導「白子国語教室」主宰 川戸恵子さん

三重県鈴鹿市内の小学校での20年余の教員生活を経て、平成22年に鈴鹿市白子で「白子国語教室」を開設した。「国語の力は未来を創る」を理念に掲げ、受験のための塾ではなく、学力の土台となって一生使える国語力をつけるための指導を続けている。

当初は小学生から高校生までを指導していたが、現在は大学生、社会人にまで範囲を広げている。令和2年からはサテライト校方式に変え、市内3カ所と津、松阪の5カ所で出張教室を開いている。

読解と作文を中心とした少人数制の教室で、生徒たちは多くの文章を読み、豊かな表現に触れ、それらを自分のものとして書いたり、話したりする力をつける。思考力を高めていくときに必要なのは語彙(ごい)力。その語彙力は普段使っている母語でしかつかない。日本語をおろそかにして英語を学んでも力はつかないという。

「書くことが得意になり、考える力や表現力が英語にも生かされている」―。作文が苦手で小6から4年間通った男子高校生が、留学先から送ってきたメールを母親が転送してくれたことがある。

また、大学生になった男子からは「リポートも楽に書けるようになり、文章力の大切さを再確認できた」とうれしい報告があった。就職を前に小論文を書けるようにと入塾していた20代の社会人男性が再び入塾し、「文章の構成や表現力が身についてきた」と、今は仕事の傍らエッセーを執筆し始めているという。

教え子らの成長ぶりから、自身の考えが間違っていなかったと確信できた。教諭時代、自分の思いを言語化し、人に伝える力を養う作文指導をもっと充実させたいという思いと、教育現場の大変さ、指導できることの限界に直面した。退職後、国語教室を創設してやり残したことに全力を傾注している。

鈴鹿市で公務員の両親の下、2人姉妹の長女として生まれた。初孫とあって幼少時から同居する祖父母にかわいがられて育ち、祖父が通っていた将棋道場に連れて行ってもらったり、祖母とお月見団子を作ったり、優しい祖父母が大好きだった。小学校の卒業文集には「小学校の先生になりたい」と書き綴っていた。

鼓ヶ浦中から津高、愛知教育大に進学した。教育学部国語科で学ぶ傍ら落研サークルに入り、高齢者施設で覚え立ての落語を披露。「皆さんの笑い声と拍手がうれしかった」と振り返る。週末は地元に戻って、家庭教師のアルバイトに精を出した。

教員採用試験を受け、卒業後は市内の3小学校合わせて20年余り教壇に立つ傍ら、理科やコンピューター、英語、国際理解、読書など、さまざまな教育研修を受け、研究に取り組んできた。運動会で小学生チームと町民チームに分かれて競った対抗リレー、山でのキャンプ、夏休みの水泳指導など、楽しかった思い出の数々がよみがえる。

体調を崩して休職後、42歳で退職した。専業主婦となり、高校生の一人娘とじっくりと向き合う時間ができた。パンやケーキ、和菓子作りなど、娘が幼い頃にできなかったことを一緒に楽しんだ。

そんな時、教員時代に買っていた国語教育者の故工藤順一氏の著書「国語のできる子どもを育てる」を読み返し、自分がやりたいことは「これだ」と気づいた。東京に会いに行き、氏が主宰する「国語専科教室」の見学もできた。「読む力と書く力、子どもの才能は国語で伸びる」と話す師の言葉に強く共感し、教室創設を決意した。

一人娘が独立後は、夫と2人の生活。7年前の鈴鹿シティマラソン参加をきっかけに走り始め、今年3月には名古屋女子マラソンで念願だった初完走を果たした。休日には、夫とトレーニングを兼ねた日帰りドライブを楽しんでいる。「伴走や給水などで協力してくれる夫に感謝です」と話す。また、童話や絵本の創作にも取り組んでおり、2年前には新美南吉童話賞オマージュ部門特別賞を受賞した。

責任はあるが、やりがいのある仕事。教員時代のさまざまな経験があったからこそ、生徒や保護者との関わり方も理解できる。「子どもたちには、人に惑わされず、自分の頭で考え、自分で判断し、自分で未来をデザインして人生を楽しんでほしい」と話し、「今後の目標は、同じ志を持つ後継者の育成と、一箱本棚オーナー制度による私設図書館を開設して、誰でも好きな時に好きな本が読める場を提供できたら最高です」と目を輝かせた。

略歴:昭和38年生まれ。同61年国立愛知教育大教育学部卒業。同年鈴鹿市立国府小学校着任。平成22年白子国語教室開講。令和2年サテライト校方式に移行。

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