-きめ細かなサービス 父の精神を引き継ぐ- 「美杉鈑金」社長 樋口潤さん

【「全国に通用する技術で、会社の発展を図っていきたい」と話す樋口さん=津市美杉町の「美杉鈑金」で】

 津市美杉町の「美杉鈑金」は、父康雄さん(68)が母信子さん(64)と昭和60年に創業。地元の自動車整備工場の依頼で、軽トラックや乗用車の損傷修理をしてきた。現在は損保会社指定工場に加え、多種多様な車のカスタマイズや古い車の修復などのニーズにも応え、県外にも顧客を増やしている。今年1月、父から経営を任された。

 名古屋市で2人兄弟の次男として生まれ、4歳の時、父の郷里美杉町に移り住んだ。伊勢地小時代は、スポーツ少年団でサッカーとソフトボールに励む傍ら、友人らと体操部を創部した。学校のクラブ活動に加え、松阪市の体操クラブにも週2―3回通った。得意な床運動で、連続15回のバク転ができるようになり、「ジャニーズに入れるかなと思っていた」と懐かしむ。

 美杉中では柔道部に入り、県大会出場も果たした。大会後、兄の勧めでレスリングに転向し、「一志ジュニアレスリング教室」に通い始めた。金メダリスト吉田沙保里選手を育てた父の故栄勝氏に師事して6カ月後、全国大会でベスト8に入賞した。師の勧めで久居高校スポーツ科学コースに入学。ロス五輪メダリストのコーチの下、インターハイや国体などで好成績を残した。「スポーツに明け暮れた12年だった」と振り返る。

 父の後ろ姿を見て育ち、将来は車整備の道に進もうと、岐阜県の中日本自動車短期大学に進学した。車体整備技術や損害保険学などを修め、2年間でガソリン・ディーゼルエンジンの整備士資格を取得し、犬山市の扶桑自動車に入社した。鈑金・塗装部門に配属され、先輩らのレベルに追いつこうと、失敗を繰り返しながら黙々と修業に励んだ。
数社で腕を磨き、26歳で家業の美杉鈑金に入社した。早く、美しく仕上げるという、他社での合理的な仕事経験から、のんびりとした父のやり方にいらだつこともあったが、一緒に仕事をするうちに大切なのは整備技術だけでなく、人があっての車だと気づかされた。長年にわたって父が培ってきた、顔の見えるきめ細かなサービスの精神を社員らと共に引き継いでいこうと決意した。

 妻晴美さんと長女結菜さん(11)、次女このはさん(8つ)の4人家族。娘たちの通う学校のPTA役員を務め、休日はうどん好きの長女のために皆で香川県まで出掛けたり、ゲームを楽しんだりと家族で過ごす時間を大切にしている。「今は妻にべったりで少し寂しいが、この子たちの成長する姿がうれしい。仕事を手伝い、家庭も守ってくれる妻に感謝です」と話す。

 「全国に通用する高い技術で、事故で激変した顧客の日常を取り戻してもらうことと、顧客の要望に添った車のカスタマイズとクラシックカーの再生で会社の発展を図り、両親に恩返しをしたい」と目を輝かせた。

略歴: 昭和54年愛知県で生まれる。平成11年中日本自動車短期大学卒業。同年扶桑自動車入社。同18年美杉鈑金入社。同27年美杉テラス会会長に就任。同29年津市商工会青年部副部長就任。同30年美杉鈑金社長就任。