鈴鹿市庄野羽山で「笑縁樹」を平成28年に創業した。個人向けには、無理なく支出を抑えて賢く増やす人生設計を、法人には売り上げアップや経費削減、節税などを提案し、市内を中心に東海地区で業績を伸ばしている。
鈴鹿市の兼業農家の両親の下、4人兄弟の長男として生まれた。教育者だった祖父の故隆さんに、幼少時から文武両道の精神を教わった。いたずらをして叱られることも多かったが、博物館や科学館などに連れて行ってくれた祖父が大好きだった。
小3から高校卒業まで剣道に打ち込み、小5からはボーイスカウトにも参加した。「剣道とボーイスカウト活動を通して礼節と忍耐を養えた」と振り返る。鈴鹿中・高一貫校を経て、三重大に進学した。生物資源学部で勉学の傍ら、アルバイトで買った中古車の改造で物づくりの楽しさを知った。
卒業後は、東京都の大手製パン企業に就職し、東久留米市にある工場の和菓子課に配属された。饅頭や餅のあん作りに1年間携わったが、やりたかった仕事とは違うと感じて退職。物づくりの仕事を目指し、都内の設計と情報処理の専門学校に通って、CADと情報処理技術者の資格を取得した。
実家に戻ってパイプ椅子の製造会社に入社し、新商品の企画や設計・開発に携わった。自分が図面を引いた物が製品化され、社会に出回っていく仕事にやりがいを感じる毎日だった。管理職になってからは、家でも深夜まで仕事をすることが多くなり、体調を崩した。心身の疲れが限界に達したと感じ、15年間務めた会社を退社した。
退職後は、経済や自己啓発のセミナーを受講しながら自身の将来を模索し始めた。ある経済セミナー講師の「銀行預金は額が増えないだけでなく、その価値はどんどん下がってくる」という言葉に衝撃を受けた。よりリスクの少ない資産運用を提案すれば誰にでも喜ばれると確信し、ファイナンシャル・プランニング技能士の資格を得た。
平成28年、「皆の笑顔の花が咲き、ご縁の実がなる大木」をイメージした社名「笑縁樹」を起業。新事業の報告を兼ねて、知人らを訪問することから始めた。生保・損保の保障の重複があれば貯蓄に回すことや保障に過不足がないかなど顧客目線に立った提案や、企業には経費削減や社員定着のための福利厚生のアドバイスをしている。各所で「貯蓄セミナー」を開催し、2年目からは紹介をもらえるようになり、手応えを感じるようになった。
妻優子さん(41)と長男瑞樹君(9つ)、次男瑛祐君(7つ)の4人家族。子どもたちの休みに合わせて冬はスキー、夏は海や山などに皆で出掛け、早く帰宅した日は、子どもたちと風呂に入ったり、ゲームをしたりして過ごす。「野球に打ち込む息子たちの姿は、仕事への活力を与えてくれる」と目を細める。
顧客の「家計のダイエットができた」「将来の不安が減り、希望が持てるようになった」などの声が励みになる。「心と体の健康に加え経済面での健康、企業間のニーズをつなぐ社会的な健康のどの要素も不可欠だと思う。貯蓄アドバイザーの仕事を通して、微力ながらそのサポートの幅を広げていきたい」と意欲を語った。
略歴: 昭和49年鈴鹿市で生まれる。平成9年三重大生物資源学部卒業。同12年三惠工業入社。同28年「笑縁樹」創業、代表就任。同29年鈴鹿市倫理法人会普及拡大副委員長就任。