ーオリジナル商品が大人気ー 「石川畳店」店主 石川淳二さん

【「地元の方々に満足してもらえるような地域密着型の畳屋でありたい」と話す石川さん=四日市市中部で】

三重県四日市市中部の「石川畳店」は大正元年、曾祖父の故久太郎さんが同市十建町(現・北町)で創業。今年、創業から110年を迎える。平成18年に4代目店主となり、元市議会議員の父勝彦さん(78)と共に北勢地域を中心に業績を伸ばしている。

「お客様に喜んでもらえる仕事」をモットーに、畳の新調や表替え、障子、ふすま、網戸、クロス、フローリングの張り替えなど、内外装のプロ職人5人と共に励んでいる。高齢者宅では、畳や障子などの張り替えのタイミングで不要になったタンスや机、遺品などの回収や電球交換などの困りごと相談にも気軽に応えている。

また、タンスに眠っていた着物などは、SNS(会員制交流サイト)で発信して引き取り希望者に無料で提供している。「もっと早く頼めば良かった」「欲しい方にお譲りできてありがたい」と好評を得ている。

6年ほど前、市のマスコットキャラクター「こにゅうどうくん」のさまざまな表情を畳のへりにあしらった「こにゅうどうくん畳」を考案した。オリジナル畳は、市総合会館の和室や茶室、幼・保育園、病院の待合室などに取り入れられた。地場産業の土鍋などを置く豆畳も制作し、外国人観光客や海外への手土産として大人気になった。

大四日市まつり会場で開いた「豆だたみづくりワークショップ」をきっかけに、児童館まつりやじばさん三重の環境フェア、小・中・高校からもワークショップを依頼されるようになり、ネット販売で他県からの注文も増えた。「市のゆるキャラと和の文化の融合によって、地域活性化とともに仕事の幅も広がった」と振り返る。

四日市市で3人きょうだいの次男として生まれた。幼少時から明るく人懐っこい性格で、誰とでもすぐに友だちになっていた。川島小学校から津市の三重大附属中学、高校は四日市高校に進んだ。高校時代はロックバンド活動に夢中になり、周囲が受験モードになる3年生になって初めて真剣に勉強に打ち込み、近畿大に進学した。

商経学部で学ぶ傍ら、多国籍企業論のゼミに入り、週末はゼミ仲間と繁華街で遊んでいた。3年生になり、友人らが就活に励むようになっても、将来、自分がやりたいことが見つけられないまま卒業を迎えた。目的のないまま、アルバイトをして貯めたお金で格安航空券を手に入れ、インドへの1人旅を決行した。

言葉が通じないインドでの第1日目はホテルが見つけられず、空港近くで路上生活者らと一緒に眠った。持ち前の明るい性格で気持ちを伝え、現地の人々と触れ合いながら2カ月間旅を続けた。これまでの価値観が音を立てて崩れ、ちっぽけな自分を痛感できたことがうれしく、もっといろいろな世界を知りたいと熱望した。

帰国後は、数カ月間アルバイトをして海外旅行という繰り返しが5年続いた。大学の同級生らが社会になじんでいる姿に、自分もそろそろ落ち着かなければと思うようになり、家業を継ごうと実家に戻り、高校、大学とクラスメートだった千尋さん(48)と結婚した。

学生時代から祖父や職人らに、畳の張り替え技術を教わっていたこともあり戸惑うことはなかったが、仕事の依頼が少なく、とても家族を養っていくだけの収入は得られなかった。家業に就いて2年後、妻と共に世界一周旅行を計画し、いつも穏やかな父から勘当を言い渡された。

妻と2人でアラスカ―中・南米―アフリカ―インドと27カ国を2年かけて旅した。途中、妻の発病など厳しい試練もあったが何とか乗り切り、各地の美しい風景を目に焼き付けながら夫婦の絆を深めた。帰国後、父は勘当したことを忘れてしまったように迎え入れてくれた。

妻と長男大吉さん(14)、次男笑吉さん(10)、長女琴子さん(8つ)の5人家族。「将来、この子たちがやりたいことを応援したい」―子どもたちの成長する姿が仕事への意欲をかき立ててくれた。「家族が最高の宝物。この幸せを守るために仕事に打ち込める」と話す。

「常にアンテナを張り、直ちに反応できるよう身も心も万端の体制で臨み、地元の方々に満足してもらえるような地域密着型の畳屋でありたい」と目を輝かせた。(岸)

■昭和49年生まれ。平成8年近畿大学商経学部卒業。同13年「石川畳店」入社。同17年「石川畳店」店主就任。同22年全国畳産業振興会畳ドクター認定証取得。

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