―社員と心一つに― あいおいニッセイ同和損保総轄代理店タフショップ三重「SEED」社長 伊藤照男さん

【「明確な中期ビジョンを達成すべく、社員一同心をひとつにして進んでいきたい」と話す伊藤さん=四日市市新正で】

三重県四日市市新正の損保代理店「SEED」は、脇田寛仁さん(74)が平成17年に同市安島で創業。お客さまとの信頼関係の構築と営業実績を評価され、県唯一のあいおいニッセイ同和損害保険総轄代理店となり、同29年に会長に退いた初代から経営を引き継いだ。

「お客さまと地域に愛され、全社員の幸せを実現する」ことを目標に掲げ、16人の社員と共にオンリーワンの企業を目指している。コロナ禍で対面販売が制限される中、データの送信やスマートフォンの活用で感染防止策を徹底しながら顧客数を維持している。

自動車保険の販売では、お客さまの家族構成や車の使用頻度などを把握し、トータルで保険料は最小限に、保障は最大限のベストな保険を設計する。長年の顧客への更新のお知らせや新商品のお勧め連絡の際、「全てシードさんに任せます」と言ってもらえると、責任感とともに保険の仕事にやりがいを感じる。

自動車保険加入者の事故対応は保険会社による24時間のバックアップ体制が整っており、事故の一報から状況把握、対応と解決までを親身になってサポートする。現在は事故後の保険に加え、データ・デジタル技術を活用した事故を未然に防ぐための保険「テレマティクス保険」の販売に注力している。

四日市市で3人兄弟の次男として生まれた。片道約4キロある小学校までの道のりを6年間皆勤した。5年生から新聞配達を始め、子ども心に働いて報酬を得る喜びを知り、自立心が芽生えた。中学卒業後は四日市工業高校に進学し機械科で学ぶ傍ら、卒業まで飲食店でアルバイトをして学費を賄った。「温かく見守り、助けてくれた方々との出会いが財産。社会で生きていくための原動力になった」と振り返る。

大企業に憧れて、三菱重工名古屋航空機製作所の入社試験を受けた。入社を許され、ボーイング機の部品製造部門に携わった。日々、歯車のひとつとして同じ作業の繰り返しに「一生の仕事ではない」と思うようになり、1年余りで退社した。その後、産廃処理会社を経て運送会社に再転職しドライバーの仕事に慣れた頃、あいおいニッセイ損保会社の営業募集チラシに興味を引かれて応募、研修生として保険業界に入った。

保険の基礎を学び、先輩社員らの指導の下、満期情報を基にお客さまへのアプローチをすることから始めた。研修期間を終え3年目で独立し、菰野町で個人代理店「アイティ保険事務所」を開設して徐々に実績を重ねていった。7年後の平成19年、個人代理店統合によって事業拡大を図ろうという「シード」の脇田社長からの提案を受けて合併し、1社員として働き始めた。

8年後、専務執行役員として実務を担当していた時、お客さまのニーズに合った保険の提供実績を評価され、あいおいニッセイ同和損害保険総轄代理店に昇格した。その2年後、社長に就任した。

健康維持のため、10数年前から歩くことを心掛けている。休日は、自宅近くの広場や道路脇の清掃作業、独り暮らし高齢者宅の草刈りや枝打ちなどの奉仕活動をしている。「活動を通して地域の方々との交流も深まり、体だけでなく心の健康にもつながり、病気知らずで過ごせている」と話す。

「失敗は自分の責任、成功は社員の成果」が信条。「しっかりと実践できているかどうか自信はないが、中途退職者がいないことは大変ありがたいこと。お客さま一人一人に寄り添った保険を提案し、明確な中期ビジョンを達成すべく社員一同心をひとつにして進んでいきたい」と語った。(岸)

■昭和28年生まれ。同46年県立四日市工業高校卒業。同年「三菱重工業」入社。同47年産業廃棄物処理会社入社。同50年運送会社入社。同58年保険代理店研修。同61年保険代理店創業。平成29年「SEED」社長就任。

略歴: