─総合建設業を目指したい─ 足場・各種鳶工事「長太建工」社長 長太一真さん

【「ゆくゆくは元請け企業となって総合建設業を目指したい」と話す長太さん=鈴鹿市若松中で】

建設業で9年間修行した後、平成19年に三重県鈴鹿市若松中で「長太建工」を創業した。県内を中心に、一般住宅や工場、マンションなどの足場工事、機械の据え付け、鉄骨組み立てなどを手がけ、業績を伸ばしている。

「事故ゼロ!安全に楽しく」をモットーに、社員5人と協力会社10数社の社員と心をひとつに作業に当たっている。就業前の体調確認や高所作業の安全帯などの消耗品は常にチェックし、「今日も1日けが無く、安全に帰宅しよう」と声をかける。

四日市コンビナートの高さ約50メートルの煙突の足場組み工事では、事故を起こすと工場全体を停止させることになるため、工具や資材の落下防止のため細心の注意を払いながら作業をした。他社が敬遠する仕事でも、やれると判断したら引き受ける。「形としては残らない工程の一部ではあるが、仲間と共にやりきった達成感は大きい」と話す。

鈴鹿市で3人きょうだいの長男として生まれた。幼い頃から活発で、自宅裏の若松の海で近所の友だちと泳いだり、魚釣りをしたりして真っ黒に日焼けしていた。中学から野球を始め、高校でも野球部に入って練習に励んだ。高2の夏、早く社会に出て自立したいという思いが強くなり自主退学して、伯父が経営する建設会社で働き始めた。

伯父の会社で型枠や土木工事を3年間修行し、とび工事の会社を興した学生時代の先輩に誘われて転職した。職人らの厳しい指導にめげそうになりながら、歯を食いしばって耐え、5年ほどで何とか一人前と認められるようになった。

その後4年間、学校や病院、マンションなどの足場組みなどで腕を磨き、先輩に「独立したい」と伝えた。先輩は「お前ならやれる。忙しい時は手伝ってくれ」と背中を押してくれた。「仕事には厳しかったが、人生の良き先輩に恵まれて幸せだった」と振り返る。

独立起業後は、それまでに関わってきた人々が仕事を紹介してくれるようになり、営業活動なしでも仕事が途切れず、順調に滑り出した。「受注の増加とともに増やした社員も皆、丁寧で正確な仕事をしてくれてありがたい」と話す。

令和2年、北勢地域の若手経営者らを対象に、地域社会への貢献活動を通して学び合い、共に成長することを目指す県中小企業交流会「MR」の創設メンバーとなった。月1回、18人の会員と経営や経理、賃金、人材育成などをテーマに意見交換会を開くほか、地元スポーツチームのスタートアップ支援、ボランティア活動などで親睦を深めている。「苦手だったネクタイの結び方から、人前で自分の意見をしっかりと話すことまで教わり、人とつながることの大切さを実感している」と言う。

長男琉我さん(21)は、昨年、結婚して自宅近くに住んでいる。現在は、妻茜さん(44)と次男楼偉さん(17)、トイプードルのノアとウルが家族。息子2人はサッカーに打ち込み、国体選手に選ばれたり、海外遠征に行ったりと、頑張っている姿に大いに励まされた。「2人の送迎や弁当作りなど、妻は大変だったと思う。今春、次男が進学したらゆっくりと労をねぎらいたい」と語る。

若い頃からの趣味であるルアーフィッシングと船舶1級免許の腕を生かし、伊勢湾のサワラやブリをメーンターゲットに釣り客を漁場に案内する「遊漁船」事業への新規参入を視野に入れている。

総合建設会社で3年修行した長男が、1月から家業に入って現場管理の仕事を担当するようになり、近い将来、法人化を考えている。「足場工事に監督業も増やし、ゆくゆくは元請け企業となって総合建設業を目指したい」と意欲を語った。

略歴: 昭和54年生まれ。平成7年県立白子高校中退。同年建設会社入社。同10年とび工事会社入社。同19年「長太建工」創業。令和2年県中小企業交流会「MR」副会長就任。

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