―地域の福祉向上も 障害の有無や年齢問わず― 社会福祉法人・知的障害者支援施設「四日市福祉会」理事長 柏木三穂さん

【「地域の福祉向上に貢献していきたい」と話す柏木さん=四日市市別名で】

三重県四日市市別名の社会福祉法人「四日市福祉会」は、義父母の巖さん(93)と隆子さん(89)により平成6年に設立された。知的障害者の生活全般をサポートし、将来は社会的に自立できるように支援することを目指し、翌7年に知的障害者入所更生施設「垂坂山ブルーミングハウス」を開設した。

同24年に義父から理事長職とその志を引き継いだ。現在、生活介護・施設入所支援事業所をはじめ、共同生活援助支援事業所2カ所、通所施設4カ所、相談支援事業所合わせて8事業所を市内に展開。介護福祉士や社会福祉士、精神保健福祉士、看護師、管理栄養士、理学療法士、歯科衛生士らスタッフ約140人が、利用者200人余の支援に当たっている。

70代夫婦から「これまで、2人だけで世話をしてきた40代になる知的障害の息子の将来が心配」という相談を受けた。息子さんは体験入所から始め、施設での生活に順応するまで1年ほどかかったが、徐々に世界を広げ、積極的に入所生活を楽しむようになっていった。父親は「こんな日が来るとは。もっと早く利用したかった」と涙ながらに話した。息子の様子に安心したのか、母親はその数年後に亡くなった。

同会が運営する障害福祉サービス事業所のガソリンスタンドのカフェで働くようになった女性利用者は、当初、人見知りで厨房(ちゅうぼう)での裏方作業を担当していたが、少しずつレジや接客もこなすようになり、今では後輩らに指導するまでになった。両親は「想像以上の成長。笑顔で働く娘の姿が見られるなんて最高」と喜んでくれた。スタッフと共に、限界を決めずに見守ることの大切さを再確認できた。

横浜市で印刷業を営む両親の下、2人姉妹の次女として生まれた。幼少時から運動が得意で、小学時代は持久走大会で常に入賞し、市の体操大会にも学年代表に選ばれていた。高校卒業後は、明治大学農学部に進学した。農芸化学科で学ぶ傍ら、当時2年生だった将来の夫孝則さんに勧誘され、優しそうな人柄に引かれて射撃部に入部し、エアライフルの練習にも打ち込んだ。

卒業後は、エステー化学に入社。研究室に配属され、防虫・脱臭の効果や香りの実験をして製品開発をする仕事に携わった。一方、交際を続けていた孝則さんは卒業後、実家がある四日市に戻り大手電機メーカーに勤務していた。孝則さんと義父母の希望で、2年半務めた会社を退職して結婚した。

結婚後は、義父が経営する電気機械器具製造会社「柏木電業社(現オークテック)」に入社し、義母と共に総務を担当した。義父が同社で障害者の雇用促進を積極的に行っていたことから、自立支援の場をつくろうと「四日市福祉会」を設立した。知的障害者入所更生施設開設と同時に、義母が施設長、自身は事務長兼生活支援員として同会に移籍し、「オークテック」の経営は、会長に退いた義父から夫が引き継いだ。

長男孝太さん(34)は、同志社大大学院を修了後、看護大学で学び看護師と保健師、社会福祉士の資格を取得、総合病院勤務を経て昨年家業に入り、グループホームを担当。精神保健福祉士と社会福祉士資格を持つ、孝太さんの妻綾さん(33)はガソリンスタンド&カフェを担当している。

夕食時は、義父母と実母、夫、隣接地に住む長男夫婦と5歳と1歳の孫の総勢9人が母屋の食堂に集まり、にぎやかに食卓を囲む。孫たちに加え、愛犬のゴールドマスチフとトイプードルも全員を笑顔にしてくれる。

コロナが落ち着いたら、障害の有無や年齢を問わず、地域の方々に気軽に集っていただけるような「憩いの場」づくりを考えている。「障害福祉施設経営のノウハウを生かしながら、地域の福祉向上に貢献していきたい」と熱く語った。(岸)

■昭和35年横浜市生まれ。同57年明治大学農学部農芸化学科卒業。同年「エステー化学」入社。同60年「柏木電業社(現オークテック)」入社。平成7年「四日市福祉会」入社。同24年「四日市福祉会」理事長就任。

略歴: