大きな正殿が見え隠れ 斎宮歴史博物館、発掘成果交え斎宮を考える

【斎王御殿を取り上げた斎宮学講座=明和町竹川の斎宮歴史博物館で】

【多気郡】斎宮歴史博物館は2日、三重県明和町竹川の同館講堂で斎宮学講座「伊勢神宮・斎宮の成立と斎王宮殿域」を開いた。同館調査研究課の川部浩司課長代理が講師を務め、発掘成果と文献から伊勢神宮と斎宮の起源を考えた。現在発掘している奈良時代の斎宮中枢域から中心建物の正殿が見つかったと報告した。

皇祖神の天照大神を祭る伊勢神宮に天皇に代わって仕えた斎王がいた国史跡斎宮跡は、近年の発掘調査で、祓川右岸の史跡西端から飛鳥・奈良時代の塀で囲まれた中枢区画が見つかっている。中心部は平安時代に史跡の東へ移り、内院を方格街区が囲む都市が広がった。

川部氏は現在同館南で発掘調査している奈良時代の中枢域について「両脇殿の間から正殿が見つかっている。大きな正殿が見え隠れして、なかなかすごい」と話した。

発掘調査で分かった飛鳥時代の方形区画「斎王御殿」の大きさと建物の配置を、伊勢神宮と難波宮の宮殿と比較したところ、「内宮二の玉垣と斎王御殿の規模は符合し、内裏規模の2分の1となる」と述べ、難波宮をモデルとした可能性を指摘した。

また飛鳥時代中枢域の建物で見つかった目隠し塀が、平安時代の斎宮内院の建物や、内宮にあった斎内親王侍殿にも設置されていたと説明。同じ祓川右岸南方にある6世紀のコドノ(神殿)遺跡にも目隠し塀があるため、同遺跡が「斎宮の原型である可能性を考えている」と語った。

同講座は本年度新しく開講し、斎宮について総合的に学ぶ。5回あり、2回目となる。約100人が参加した。