2022年12月3日(土)

▼言葉は生き物だと改めて知らされた。本紙『記者席』で、石田成生県議が「アベックは喫茶店で互いを見ずにスマホを見ている」と発言し議場から驚きの声が上がったという。携帯電話時代の若者の生態として似たようなことを書いた。いまごろ、という気がしたが、議場が驚いたのは「アベック」という言葉だったという

▼アベックはフランス語で前置詞だが、昭和2年頃日本に入り、男女2人連れを指す和製外来語になった。英語由来のカップルに押され、平成2年頃から死語になったという

▼昭和35年生まれの石田県議は多くその時代を生きてきたわけだが、男女の性的関係を連想させるニュアンスが強く、アベックホームランやアベック優勝などはともかく、悪ガキ時代は「やーい、アベックだ」などとはやし立てた記憶がある

▼先日新聞のパズルを見て「昭和30年代のスニーカー」という問いに首をかしげた。正答は「ズック靴」だったが、白い実用一点張りのズック靴と、最近の多様なデザインのカラフルなスニーカーがどうしても結びつかなかった。言葉だけでなく、製品名も時代を考えずには語れないのだろう

▼四半世紀前になるか、若い女性に話しかけ「うざいです」と言われ、意味が分からずポカンとしたことがあったが、今はこれも、やはり死語なのではないか。若い頃は美しい女性などを「まぶい女」と言った。「まぶしい」から転じて、ことのほかうまく物事が進むことも「まぶい」と言った

▼真逆の使い方をしてきた「ヤバい」が今は似たような意味で使われる。言葉は世に連れ、である。