2022年8月17日(水)

▼ジャーナリズムがラテン語のディウルヌス(一日の)を語源とすることはよく知られている。日々の忠実な記録を積み重ねるに転じて新聞、テレビ、雑誌など多様な意味に派生した。その積み重ねが歴史を形成するか、あるいは歴史を踏まえ日々の出来事を記録していくか、解釈は分かれよう

▼本紙創刊5万号特集で、創業者ゆかりの歌手、あべ静江さんが小林千三本紙社長と対談し、本紙経営に携わった創業家関係者が全員刑務所にとらわれたことを語り、反骨精神を失わぬよう訴えた。その思いを引き継いでいるつもりで、軟弱になっているのではないか。ジャーナリズム論を語ってきたことの恥ずかしさを感じる

▼世はまさにやすきに流される。葉梨康弘法務相が旧統一教会関連団体の月刊誌にインタビュー記事が掲載されていたことを明らかにして「旧統一教会と関係があると認識してインタビューに応じたものではない」。「知らなかった」はゆとり世代の若者が多用し始めた言葉として「それが免罪符になるか」と昔書いた。今は政界にもまん延している

▼霊の祟りなどを理由に商品を売りつける旧統一教会の霊感商法は昭和55年代に社会問題となり、平成5年の福岡地裁で使用者責任が認定された。当時は協会はもちろん、関連団体の「勝共連合」や「世界日報」」の名を聞いただけで身構えたが、名称変更や新団体設立で政治家も行政もメディアも気にしなくなった

▼戦争責任について「だまされたという側の責任」を批判したのは映画監督伊丹万作である。「知らなかったという側の責任」に粛然とする。