2021年12月10日(金)

▼「ビジョンない予算」というのは県議会一般質問の本紙見出しだが、「夢のない予算」と置き換えて理解したのは、かつてそう言い続けた県議がいたからだ。県予算は県民に夢を持たせるものでなければならないという主張だが、とんだ早とちりだった

▼県の「長期ビジョン」も、それに基づく「中期計画」も出ていない中で、それに沿った単年度計画とも言える新年度予算案を提出するのは「いかがなものか。新規事業はビジョン策定後の補正予算で審議されるべき」。俗に言う手順前後。議会の論理によれば、議決のない予算の執行と同類となろうか

▼指摘した中嶋年規県議は「議会は単なる追認機関ではない」。芝居なら「恐れ入ったか」と大見えを切った場面か。一見勝之知事はそれでは「来年4月以降の計画が空白になる」、手順前後は前知事の時もあったなど防戦に努めたが、幕は下りた。あとは〝楽屋話〟になるのだろう

▼県人権施策基本方針の第2次改定策定に、県人権施策審議会の一員として加わったことがある。初会合の時、改選前の決定事項について会長から取り消しの申し出があった。予算を伴うため県議会の議決なしに決定できなかったという

▼答申は議会が吟味すればよいことで、奇妙なやりとりという思いは今も残るが、おぼろげながら輪郭が浮かんできた気がする。中嶋県議の指摘は新政みえの重鎮、三谷哲央県議との共演らしい。議会の一枚岩を示す狙いか「責任転嫁」か―と、本紙・記者席は、やさしい

▼新米知事に対し、どこの社会にも見かける手痛い洗礼をお見舞いしたのかもしれない。