2021年12月2日(木)

▼先の総選挙結果の立憲民主党について、岡田克也元副総理は「私自身、政権交代はともかくとして自民党を単独過半数割れに追い込み、与野党伯仲状態を作り出すことは可能と思っていた」。「政権交代」を掲げて臨んだ同党自身、どこまで本気だったか。とすると、共産党との距離の取り方について、戦術の誤りは否定できない

▼さて、その責任をとって辞任した枝野幸男氏の後任を選ぶ代表選。4人の立候補者の顔ぶれをどれだけの国民が知っていたか。少なくとも、誰が選ばれるかに関心はあった先の自民党総裁選に比べ、筆者自身、戸惑いが先に立つ。平成13年の第1次小泉内閣で財務相になった塩川正十郎が新聞協会の講演で、旧民主党議員について「実に才能のある人材が豊富。うらやましい」

▼当時の同党の勢いを物語るが、やはり意外な気がした。数年で民主党政権が誕生。所属議員の名前が知られるようになる。4氏についても同じことが言えるのかもしれない

▼立憲は、民主党と希望の党の合流からはじかれた議員らで結成し、消滅の危機を乗り越えて躍進した。しばらく純潔路線を歩み、旧国民民主党との合流を経て拡大路線に転じたが党勢は上がらず、維新の会に政権不満の受け皿を奪われ、代表交代でのイメージ一新を目指す

▼イメージ一新がイメージチェンジで達成できるものではない。政策立案党への転換というのも安易な気がする。野党の政策で信頼が取り戻せるものでもない。政党は離合集散が常。戦略もまたしかり。〝塩爺〟をうらやましがらせた当時に立ち返ることも方法の一つだ。