<まるみえリポート>東京五輪・パラ現地取材 コロナ禍に記者も熱戦 4日に1度PCR、ボランティアの優しさも

【無観客で陸上競技が行われた国立競技場=東京都新宿区で】

新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかからない中、東京パラリンピックが24日に開幕し、各会場で熱戦が繰り広げられている。7月23日に開幕、8月8日に閉幕した東京五輪では1都3県の会場で取材に当たり、現在もパラリンピックの現地取材をしている記者が両大会での体験をリポートする。

五輪では日本選手団のうち県勢から19人が出場した。報道関係者は4日に一度のPCR検査が義務づけられ、記者が新型コロナウイルスに感染すると取材が止まってしまうため、緊張の中での取材活動だった。

各競技会場へはほとんど電車やバス、徒歩で移動した。記者は関東での土地勘がまったくないため携帯の地図アプリや公共交通機関の乗り換え案内とにらめっこしたり、ボランティアや駅員に道を尋ねたりしながら各会場を駆け回った。

神奈川・江の島ヨットハーバーで開かれたセーリングの取材では、ここが地元だという親切なボランティアに観光名所などの話をしてもらいながら会場まで30分ほど歩いた。時間がなくて観光名所には行けなかったが、ボランティアの優しさに触れ、いつかまた訪れてみたいと思った。

午前中に千葉、午後に東京、夜は再び千葉の会場で取材をしたときは、1日で約100キロの距離を移動したこともあった。猛暑や緊張感の中で休みなく現場を駆け回り、取材14日目に左足に激痛が走り病院でMRI検査をしたときは心が折れそうにもなったが、使いすぎが原因との診断で大事には至らず。国内開催の五輪で一流選手のプレーを間近に見て取材できることに大きな喜びを感じた。

五輪取材でひやひやすることもあった。感染症対策の観点から、東京アクアティクスセンターであった水泳・男子シンクロ高飛び込みでは、選手に取材ができる「ミックスゾーン」は記者の数が制限され、抽選で入場できるかが決まった。「三重から来たのに抽選に外れたらどうしよう。どうか入れますように」と願い、記者は運良く入ることができた。

新型ウイルスの感染防止対策で五輪ではほとんどの会場で無観客、パラリンピックでは原則無観客開催となったことについて、選手たちはどう感じたのか。

フェンシング男子エペ団体で金メダルに輝いた鳥羽市出身の山田優選手(27)=自衛隊=は、7月25日にあった男子エペ個人の試合後に「最初は盛り上がりが少なくて嫌だなと感じていたが、携帯にたくさんメッセージが届き緊張がほぐれた。無観客も悪くはない」と語った。

男子サッカーに出場した鈴鹿市出身の旗手怜央選手(23)=川崎フロンターレ=は準々決勝の試合後に「Jリーグでは感じられない独特の雰囲気の中でやれているので、僕自身は楽しめている」と話した。

各会場ではボランティアやスタッフが会場内の案内や清掃などをして大会を支えている。千葉・幕張メッセで開かれたレスリング競技では、スタッフたちが競技用マットを丁寧に拭いていた。

同競技の男子フリースタイル57キロ級に出場した桑名市出身の高橋侑希選手(27)=山梨学院大職=は「ボランティアの方が温かく迎えてくれて自国開催の素晴らしいところだなとかみしめながら試合に臨めた。ありがとうございます」と感謝を口にした。

25日からは児童生徒が競技を観戦する「学校連携観戦プログラム」が始まっている。東京都、千葉、埼玉両県によると、24日時点で1都2県で計4万3565人(東京2万94人、千葉2万3132人、埼玉339人)の生徒児童らが参加する予定という。

千葉・幕張メッセで25日に開かれた車いすフェンシングでは約300人(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会発表)の子どもたちが見学した。同競技に出場した鈴鹿市在住の恩田竜二選手(45)=三交不動産=は「子どもに見てもらったり、拍手をしてくれたりして後押しとなった。ありがたかった」と語った。

プログラムが実施される一方、選手を支えている家族らは会場での観戦ができない。自宅のある鈴鹿市で結果を見守った恩田選手の妻美和さん(45)は、現地で観戦したいという気持ちもあったが「開催が危ぶまれていたので、開催していただけたことに感謝したい」と話した。

両大会の開催は賛否両論あるが、選手たちは各国の代表として試合に臨み、試合後に抱き合ったり、拳と拳を合わせたりして互いの健闘をたたえ合う姿を見て感動を覚えた。記者も引き続き感染対策をしながら取材を続けたい。