2020年8月1日(土)

▼京都の筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の嘱託殺人事件で、容疑者の医師は1カ月ほど前から患者と入念に打ち合わせをし、薬物を購入するなど、準備を進めていた

▼命を救うための医術を命を奪うために使う。いつぞや看護師グループが身につけた医療知識で人知れず身内を殺害していたという身の毛がよだつ事件があったが、動機が金目当てなどであったのは、思えば救いがあったというべきか

▼ALS患者が陥りやすい悲痛な絶望感に熟知しているはずの医師が寄り添うこともせず、絶望は当然な、正しい感情として、正義を行使するかのごとく命を奪いに行く。事実は小説より奇なりというが、物事の表面だけを見て本質に踏み込もうとしない小説が読まれるかどうか

▼相模原市の障害者施設殺傷事件から4年目の26日、献花台を設け、犠牲者を追悼した。事件の風化を懸念する声が上がり、神奈川県の黒岩祐治知事は「事件は起こるべくして起きたのか、改めて見つめ直していくべきだ」と述べた。公判で、被告は「意思疎通を取れない人間は安楽死させるべきだ」と正当性を主張した。医師の立場でその主張を継承したかのような嘱託殺人事件である

▼陸上の山縣亮太選手は「けがとか壁にぶつからないと気づかないことがいっぱいある」と言っていた。障害者などと全人類の関係に置き換えられないか。社会は多様な人で構成され、だからこそ健全なのである

▼だが、誰もが山縣選手のように感じられるわけではない。そのために気づかせてくれる仲間や支援者が必要で本来医者もその一人のはずである。