2020年7月4日(土)

▼総合教育会議で木平芳定県教育長が「コンプライアンス(法令順守)の徹底に取り組んできたが、なぜこのような事案が起きたのかを十分に考え」。ああ、また考えるのかというのが正直な感想だ。事件が起きるたびに「なぜか」を考え、また事件が起き、また考える。一向効果はない

▼26歳の小学校教諭が、何と10代女性への強制性交の疑いで逮捕された。被害届が出されているというから、市教委、県教委の裁量の働く余地もない。木平教育長は「断じて許されない」。女子生徒を個別指導と称して教室で20分ほど膝の上に座らせ、顔や腰を触った教諭に対し、当時の廣田恵子教育長が処分発表とともに言った言葉である

▼鈴鹿市PTA連合会が教員の児童生徒へのセクハラが公表されていないと報告したのはその発表と同じ平成30年で事案は前年度。小3女児を膝に乗せ、後ろから抱きしめたが、処分はされなかった。3学期で、間もなく退職だからとか、女児の将来によくないから―が、処分と公表を求めた母親に対する市教委の説得だった

▼ダブルスタンダードや、おためごかしの隠蔽(いんぺい)体質が「なぜか」の一つの答えになっていることは間違いない。市教委はその後、保護者へのセクハラアンケートを実施したが、結果も公表されてもいない。情報の共有やウミを出し切る気がない世界でもあるのだろう

▼不祥事のたびに改善策として市町教委や校長の会合で徹底するというのが決まり文句だが、注意喚起は右から左へ抜け、浸透してはいないのだろう。「なぜか」は分かっている。「何をするか」である。