2019年10月22日(火)

▼昔、県議数人の質問原稿の一、二項目を書いたことがある。特に人に話したこともないが、秘密にしなければならないとも思っていなかった。複数の県職員から「○○先生の質問は自分が」という話も聞いていた。参議院で、質問通告が漏洩し「質問権を脅かし、民主主義の根幹に関わる」などの〝大問題〟になっているらしい。首筋が何となくひやりとする

▼質問通告は箇条書きだろうに、何と大げさな、と言っては「民主主義の敵」と言われるか。県議会でよく問題になるのは、質問通告書を出したあとに職員が当の議員からその内容、趣旨を聞く「聞き取り」だった。答弁を的確にし議会運営をスムーズにするためだが〝爆弾質問〟が爆弾でなくなったり、封じられたりして反発する議員もいた

▼「なれ合い廃止」の北川県政で一時中断されたが、効率は悪く、「まだ質問しないことまで答弁していただいて」という発言が最近議会で聞かれる。旧に復したのだろう。質問権が県政に少なからず影響を与えたのは昭和61年、富永英輔議員(故人)の質問を巡ってだ

▼県教組出身者が中心の会派から自民党へくら替えし、予定していた質問の権利も前会派へ委ねたが、直前だけに受ける議員がなく、結局、質問権は前会派から自民党を経て、富永議員にお鉢が回ったが、三教組これを組織に対する公然たる挑戦と受け止め、直後の県議選で総力をあげて対立候補を支援し、落選に追い込んだ

▼名張市長へ転じたが、支持基盤は弱かった。斎場建設の裁判では市、市議会とも敵に回った感で不遇の最期となった気がする。