2019年7月31日(水)

▼「理屈とこう薬はどこへでもつく」は日本のことわざ。意味を説明するまでもあるまい。「理屈は後から貨車で付いてくる」は旧民社党委員長など務めた春日一幸元衆院議員の言葉。いくらでも、ということである

▼県職員を評して「ああ言えばこう言う」というのも、理屈というものの性格と無縁ではないが、不祥事や事務処理ミスへの対策として鈴木英敬知事が本庁の全県職員と面談する方針を固めたのに対し、県教委や県議会の事務局など、任命権者が知事ではない部署も対象するのはどうかという指摘があったというのは、県職員の面目躍如たるものがある

▼最終的に「自由な意見交換の場で、知事が指示や命令をするわけではない」の理屈で対象にすることにしたという。まさに本領発揮だ。理屈と理屈が丁々発止と斬り結び、何のための知事面談かが二の次の趣がある

▼女子児童生徒への性的いたずらや万引が横行し、組織としても越境入学や障害者雇用の水増しがまかり通っていた県教委事務局職員を抜きにしては仏作って魂入れずだろう。議会の威を借る議会事務局も外せない

▼県職員の不祥事が今ほどでなかったころ、もめ事と言えば学校事務局へ派遣される職員が多かった。勤務怠慢などで減給となり不服請求、裁判などへ進んだ。時間内勤務や残業手当に教職員の不満が募った

▼校長が「これくらいいいじゃないか」という出張費の不正受給なども学校現場の働き方の二重構造から生まれた考え方かもしれない。組織内では自明とされる積年の岩盤、ウミが知事面談で出てくるかは、別の問題である。