2019年4月2日(火)

▼改元は明治以前、世直しの意味が込められていた。代替わりもその趣旨だったことは少なくない。明治150年余を経て、古き伝統がよみがえった感がある

▼国書を典拠にしたせいか、やわらかい印象だが、これは人さまざまだろう。2文字のバランスも、明治から平成までが同格だったのに対し、令和は、上が軽く、下が重い気がするが、菅義偉官房長官が掲げた文字、またなじんできたかどうかの違いだろう。世相を政治経済社会と表す。劣化する政治、拡大する経済を象徴しているように思ったのは、ほんのついでである

▼森友・加計問題にしろ、毎月勤労統計はじめとする国の統計不正、障害者雇用率の恣意的算定など、衝撃的事件がほとんど傷跡を残さぬまま、時代は流れていく。米軍基地の辺野古移転を巡り沖縄県が住民投票で示した意思などは、まるでなかったも同然に政治日程が進んでいく

▼事件が次々と忘れられていく。「令和には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められている」(首相談話)。そんな時代を予見し、目指していくということでもあろう

▼「迫り来る嵐」という中国映画がある。男が連続猟奇女性殺人事件の捜査していく物語だが、話の筋は筋として、周辺住民は誰一人、事件に関心を持たない社会が描かれているという。何が起きても感動、感激はもちろん、恐怖すら感じなくなっている社会ということだ

▼穏やかな社会を感じさせる令和の首相談話と、感動を失った「迫り来る嵐」の描く社会とは似て非なるものだろう。「似て」が不気味ではある。