2018年6月28日(木)

▼「子どもを産まない方が幸せと勝手なことを考える人がいる」と自民党の二階俊博幹事長。「皆が幸せになるために子どもをたくさん産み、国も発展していこうじゃないか」。「女性は産む機械」と柳澤伯夫厚労相(当時)が言って11年。ものの見方、考え方はあまり変わっていない気がする

▼「戦中、戦後の食うや食わずの時代も、子どもを産んだらたいへんだから産まないようにしようと言った人はいない」という。国民はともあれ、戦中の国は「産めよ殖やせよ」と出産を奨励した。昭和16年に「一家庭に平均五児」を閣議決定している。富国強兵が狙いであることは言うまでもない

▼戦後は出生率急増と経済壊滅の板挟みで、政府は一変して家族計画(人口抑制)を推進。避妊具メーカーの「文化生活は家族計画から」のコピーは政策への呼応で「明るい家族計画」へとつながる。旧優生保護法成立も時代背景と無縁ではあるまい。その時の都合で国は家族、女性に出産奨励、産児制限を求めてきた

▼「貧乏人の子だくさん」は日本のことわざ。いつごろの成立かは知らぬが、少なくとも戦中以前の社会の空気を反映していないか。二階幹事長は貧困問題に対し「今は食べるのに困る家はいない」と言った。日本学生支援機構から給付型奨学金が消え、多重債務の原因になっていくのはそうした認識が端緒だが、結婚も子どもの希望も戦中、戦後と現代にそう違いはない。現実にならないのは食べるのに困るかどうかというより、子どもを幸せに育てる自信がないことが大きい。政治家なら見つめねばなるまい。