―信頼と実績、堅実に築く― 物流機器販売・メンテナンス「ナゴヤシンコー株式会社」社長 橋本和久さん

【「堅実に信頼と実績を積み重ねていきたい」と話す橋本さん=四日市市河原田町で】

三重県伊勢市下野町の「ナゴヤシンコー」は昭和21年、父の故二久利さんが同市宮後で創業した「橋本鉄工所」が前身。後に神鋼電機(現シンフォニアテクノロジー)に機械加工部品を納品するとともに、同社の販売特約店となった。同51年にフォークリフト部門を「ナゴヤシンコー」、産業用機械部門を「ハシテツ」の2社に分社し、業績を飛躍的に伸ばした。

平成2年、会長に退いた父から「ナゴヤシンコー」の経営を引き継いだ。伊勢本社と四日市・名古屋営業所合わせて40人の社員が、搬送・物流機器の販売とメンテナンスを通して顧客のニーズに応え、コスト低減に努めている。

各種フォークリフトをはじめ、牽引車、運搬車、掃除機、空調機器など多岐にわたる物流保管用機器の販売と、レンタル・リースサービスを提供。また、それらの機器のメンテナンスも、高い整備技術を持った社員らが迅速な対応を心がけ、顧客に喜ばれている。

荷物を載せると5―6トンにもなるフォークリフトが、工場内をぎりぎりのスペースで行き来するため、音や光によって運転者や周囲の人に危険を知らせるセンサーを搭載するなどの安全対策も顧客に勧めている。

伊勢市で4人きょうだいの次男として生まれた。幼い頃から運動は苦手だったが、勉強は好きだった。中学時代、友だちと2人で化学反応を起こして文字が書ける「電気ペン」を完成させ、「科学発明コンテスト」で優秀賞に選ばれた。

埼玉県の慶應義塾志木高校に進み、高2から、苦手な運動に挑戦しようと柔道部に入部した。日々の練習で懸垂や腕立て伏せができるようになり、筋肉が付いて足も速くなった。数カ月後の県西部地区大会で3位に入賞し、頑張ればできることを実感した。

慶應義塾大に進学し、経済学部で学ぶ傍ら空手部で練習に励んだ。卒業後は、都内の「山崎金属産業」に入社し、コンピューター・プログラミング研修を経て、倉庫の管理業務や営業などを担当した。仕事は楽しかったが、少年時代から抱いていた海外留学の夢を実現させようと決意し、3年間務めた同社を退職した。

通っていた英会話学校の紹介で、米・アリゾナ州のアリゾナ大学院に入学。それまでの人生で一番真剣に勉学に励み、2年半で経営学修士課程(MBA)を修了した。その傍ら、入会した空手サークルでは経験を買われてコーチに推され、共に学ぶ学生たちとすぐに親しくなれた。

「無謀な挑戦だったが、当時の日本では知り得なかった最先端の経済・統計・金融・マネジメント・IT学などを習得でき、自信につながった」と振り返る。帰国後、父の希望で家業に入社し、11年後に経営を引き継いだ。

長女家族は英・ロンドン、次男は東京、次女家族は津市で生活している。長男家族は隣家に住み、今は妻さち子さん(71)と2人で過ごしている。「子どもと孫たち全員での年1回の旅行が楽しみ」と話す。

「お客様、仕入先、社員の3者で1つの輪を作り、堅実に信頼と実績を積み重ねていきたい」と語った。

略歴:昭和25年生まれ。同47年慶應義塾大学経済学部卒業。同年「山崎金属産業」入社。同52年米アリゾナ大学院MBA修士課程修了。同53年「ナゴヤシンコー」入社。平成2年「ナゴヤシンコー」社長就任。同17年建設荷役車両安全技術協会三重県支部長。