若い時の苦労を糧に 10年かけ事業拡大に成功 スズカン代表取締役社長 若林弘樹さん

若いときの苦労が自信につながる」と話す若林代表取締役社長=四日市市城北町のスズカンショールームで

 四日市市九の城町に本社があるスズカンは、業務用・家庭用LPガスの配管工事や、業務用厨房(ちゅうぼう)設備の設計、施工、メンテナンスを手掛ける。昭和49年父親の豊さん(74)が創業した。

 自然豊かな山の中で生まれ育った。小学校まで片道約3キロの道のりを毎日歩いて通った。「体は鍛えられた。足も速かった」と笑う。活発なタイプで、小学生の時はスポーツ少年団、中学では野球部に所属。人望も厚く、学級委員も務めた。

 小学生の頃、父親が会社の前身となる「鈴関商事」を設立した。休日は父親と一緒に得意先の飲食店に付いて行き、一生懸命働く父親の姿を間近で見た。いつの間にか、「大人になったら自分も商売をやりたい」と思うようになった。「経営について幅広く学びたい」と1年浪人し、早稲田大学社会科学部に入学。

 浪人中は京都の寺で1カ月修業した。毎朝4時に起き、掃除や鐘突き、読経をする中で規則正しい生活とともに、仏教の歴史や思想を身に付けた。

 大学時代に会得した「原因があって結果がある」という考え方は今でも基本。「自分の行動が全て結果につながる。良い原因をつくるよう行動することで、良い結果をつくる生き方ができる」と話す。

 「創業の楽しみを知ってほしい」という父親の提案もあり、卒業と同時にビル外壁クリーニングの会社「ベルクリン」を起業した。

 父親が保証人になってくれたが、資金援助などは一切なく、何の経験もないまま死に物狂いで働いた。「月の返済額が7、80万。ちょうどバブルが崩壊した時期で、最初の1年くらいはまだ良かったが、だんだん厳しくなってきた」と当時を思い返す。資金繰りなど大変だったが、フランチャイズの事業で、同業者たちとの交流が励みとなった。

 持って生まれた前向きさも、困難を乗り越えられた要因の一つ。「目の前に壁があっても、回避できる方法は何かしらあるし、回避していくことが経営」と力強く話し、「頑張っていると助けてくれる人が現れたり、いい方法が出てきたり。そういうことの連続」と振り返る。「若いときの苦労が自信につながる」という。

 31歳で現在の会社に入った。10日後に突然、父親から社長交代を告げられた。驚きと同時に業績悪化を知った。

 不安からのスタートだったが、これまでの経験を生かして、一つずつ問題を見直し、10年ほどかけて事業拡大にも成功した。昨年から、ボランティア活動に取り組み始めた。「これからも、誰かの役に立つことができれば」と話した。

略歴:昭和42年生まれ。亀山市出身。平成3年ベルクリン設立、10年スズカン代表取締役社長就任。現四日市市倫理法人会幹事、中小企業同友会副支部長、四日市駅西発展会副会長街路灯委員長。