「ひとつ屋根の下の幸せを」 「山三瓦工業」代表 服部竜大さん

【「気になる箇所の早めの点検が防災減災につながることを周知していきたい」と話す服部さん=四日市市山之一色町で】

三重県四日市市山之一色町の「山三瓦工業」は、天保年間の創業から170年以上続く老舗の屋根・瓦の専門店。創業当時の屋号は定かでないが、社名は曾祖父によって定められ現在に至っている。祖父の故忠雄さんの代までは瓦製造が中心だったが、父洋さん(79)が伯父らの協力を得て施工も手掛けるようになり、徐々に施工業に移行した。

平成28年に8代目として父から経営を引き継いだ。時代のニーズに伴い、粘土瓦だけでなく金属屋根材も扱うようになり、太陽光発電システムの販売・施工にも携わるようになった。また、ドローンを導入した高所点検で、屋根や屋上にある看板などの不具合を的確かつ安全に見つけることが可能となり業績を伸ばしている。

「ひとつ屋根の下の幸せを守る」ことをモットーに、さまざまな屋根の問題を抱えているお客さまに誠実に寄り添っている。調査依頼を受け無料屋根点検を実施し、サーモグラフィーカメラで雨漏りの有無やドローンで空撮した写真や動画で屋根や雨といの現状を確認し、原因を究明することでお客さまの不安や疑問の解消に努めている。

破損や劣化の状態を空撮画像でお客さまに説明し、最適な修理方法を提案する。部分補修で修理できる場合もあれば、ふき替えが必要な場合もあり、ある時は雨といに詰まったごみを取り除くだけで問題が解消したこともある。施工方法が決まるとベテランの専属職人らと工事に取りかかる。完了後は「これで安心して暮らせる」「丁寧な診断と的確な提案。山三瓦さんに任せて良かった」と喜ばれている。

四日市で2人きょうだいの長男として生まれた。幼い頃は、瓦に使う粘土で遊んだり、裏山の竹林で切ってきた竹で水鉄砲や竹トンボを作ったり、物づくりが大好きだった。小学高学年になると、家紋や鬼瓦などの屋根の装飾品作りを手伝うようになった。

大池中学ではサッカー部、四日市南高校ではワンダーフォーゲル部に入り、2年の時にキャプテンとして出場した競技登山県大会で優勝を果たし、全国大会に進んだ。当時の仲間とは今も交流が続いている。

金沢工業大に進学し、機械工学科で学ぶ傍ら競技スキー部に入部した。夏場は体力づくりを兼ねて仲間と白山の山小屋で住み込みのアルバイト、冬は中部地区インカレなどに出場した。「社会人として必要な礼儀や思いやりの心、自主性などを養えた4年間だった」と振り返る。

将来は自分が家業を継ぐのだろうと考えていたが、しばらくは社会経験を積んでからと、卒業後は愛知県の瓦製造プラント会社「高浜工業」に入社した。機械の組み立てやメンテナンス、設計・研究開発などに3年半携わり、実家に戻って父の仕事を手伝うようになった。

瓦を固定するための土こねから始め、現場で屋根に瓦を上げる作業、瓦ふきの職人技を父の指導で覚えていった。作業後や雨天の日は資格取得のための技術習得に費やした。「人生で一番真剣に、目標に向かって取り組んだ時期だった」と話す。3年目でかわらぶき技能士2級、その翌年には瓦屋根工事技士、瓦工事の最上級資格の瓦屋根診断技士、11年目でかわらぶき技能士1級資格を取得した。

10年ほど前から、現場作業も営業も任されるようになっていた。昔は大工棟梁からの依頼を待つだけで仕事があったが、今は大工の減少とともに仕事も少なくなり、ホームページを立ち上げて積極的にPR発信を始めた。

平成23年に県屋根工事業組合連合会青年部を設立して副部長、部長を務めた。その後、全日本瓦工事業連盟青年部の執行役員となり、全国の同業者との情報交換で結びつきを深め、瓦業界全体の発展を目指すようになった。

長女と次女が独立し、妻との生活を末娘のような3歳の愛犬モップがにぎやかにしてくれる。「休日は妻と各地の神社仏閣や城巡りを楽しんでいる。屋根瓦の地域性を見比べたり、ご当地グルメを味わったりするのが何よりのリフレッシュ」と話す。

平成28年、県内4人目となる全技連マイスター(かわらぶき部門)に認定された。「瓦屋根を知り尽くした屋根博士として、気になる箇所の早めの点検が防災減災につながることを周知していきたい」と意欲を語った。(岸)

略歴

昭和46年生まれ。平成6年金沢工業大学機械工学科卒業。同年「高浜工業」入社。同9年「山三瓦工業」入社。同28年「山三瓦工業」代表就任。同年県屋根工事業組合連合会青年部設立。同年全技連マイスター(かわらぶき部門)認定。同30年全日本瓦工事業連盟青年部相談役。

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