―いつかは総合建設業を― 「渡辺建装」社長・渡辺充さん

【「いつかは総合建設業を目指したい」と話す渡辺さん=鈴鹿市長太新町で】

塗装会社に勤務し14年間経験を積んだ後に独立を決意。平成21年に鈴鹿市長太新町で「渡辺建装」を起業し、同29年に法人化した。新築・リフォームを担当する住宅事業部と、板金塗装・エクステリアを受け持つ屋根外壁事業部が連携して安心して暮らせる家造りとメンテナンスを提供し、北勢地域を中心に業績を伸ばしている。

長年営んでいた理髪店をたたんだ70代夫婦からリフォームの依頼があった。要望に沿って細かい部分の提案をしながら工程を決定。夏は断熱、冬は保温で年中室内環境を快適にする断熱工事を勧め、築40年ほどの住宅兼店舗の外壁を残して和室スペースのあるLDK、洋室、洗面所、トイレ、浴室の改装など3カ月弱の工事を終えた。

夫妻は「対面キッチンや掘りごたつが夢だった。断熱工事の効果に大満足」と喜んでくれた。後日、夫妻の家族の紹介で、沖縄・米軍基地の格納庫の塗装や扉の取り付けなどの定期的なメンテナンス工事を受注することができた。

築後20年ほどの住宅に住む60代夫妻からの外壁塗装の依頼では、遮熱塗料を提案した。近年は、太陽光を反射することで室内温度の上昇を抑える暑さ対策としてニーズが高まっている。夫妻には「驚くほど冷房の効きがよくなった。スタッフさんの丁寧な対応もうれしかった」と喜ばれ、より一層の活力となった。

鈴鹿市で建設業の父と看護師の母の下に生まれた1人息子。幼少時は1人で過ごすことが多く、テレビで吉本新喜劇や水戸黄門を見るのが大好きだった。小4から野球を始め6年の時に県大会に出場し、ベスト4に進んだ。中学では陸上部に入り、中3で県大会出場を果たした。

スポーツ推薦で稲生高校に進学したが、早く社会に出て働きたいという思いが強くなり3カ月後に自主退学した。実家が塗装業の先輩のつてを頼りに就職し、先輩の父親から塗装の手ほどきを受けるようになった。塗装の基本の養生から、ムラなく均一に塗装するコンプレッサーやエアーレス機器の取り扱い方を覚える内、仕事がどんどん面白くなった。

塗装会社2社で経験を重ね、その後1人親方として同業他社の下請け工事に携わった後、渡辺建装を創業した。こつこつと地道に実績を積み上げ、下請け工事に加えて元請け工事も多くなり、仕事量に合わせて従業員も増やしていった。手がけてきた現場の1つ1つが自信作、施主の「ありがとう」の言葉が何よりの励みとなっている。

妻恭子さん(40)と長男優人さん(17)、次男暖大さん(16)、3男真叶さん(9つ)の5人と6歳の愛犬サラ(ダックスフンド、メス)のにぎやかな家族。子どもたちが幼い頃は仕事が忙しく、一緒に過ごすことが少なかったが、今は夕食だけは全員そろって囲んでいる。「子どもたちが将来、家業を継ぎたいと思えるような会社にしたい。子育ても家事も任せっきりの妻には感謝しかない。いつか2人でゆっくりと旅行をして労をねぎらいたい」と話す。

経営者らが、社会・地域貢献活動を通して共に学び合い、共に成長することを目指す県中小企業交流会「MR」に令和2年に入会し、現在は役員として貢献活動に力を注いでいる。「お客様がお客様を紹介してくれるような仕事をすることがモットー。まずは地域に根ざすことに専念し、徐々にエリアを拡大して、いつかは総合建設業を目指したい」と意欲を語った。

略歴: 昭和55年生まれ。平成7年県立稲生高校中退。同年「塗装会社」入社。同21年「渡辺建装」創業。令和2年県中小企業交流会「MR」役員就任。