エルリコ発刊の辞

 第二の敗戦の焼け跡に立って。
日本はまた負けてしまいました。日本国民は、私たちの先人がかつてそうしたであるのと同様に、経済敗戦の焼け跡に呆然として立ちすくんでいるのが実情ではないでしょうか。昭和二十年代には、戦地から引き上げてくる若い兵隊の中から、焦土から国土再建に向けて立ち上がる無限の前途への希望が巻き起こったように聞いています。現在はそれどころか、いつ解決されるとも知れぬ経済苦境の不安の真っ只中にいる次第です。

 今こそ大東亜戦争後五十年余経過した日本の反省と総括をするべき時ではないでしょうか。
「とにかく経済復興だ。欧米に追いつき追い越せだけで、今度の戦争の反省もなしにただただ駈けて来てしまった。」(戦中派の死生観)という意味のことを書いておられたのは傑作『戦艦大和ノ最後』を著した、沈没した大和から九死に一生を得て生還した、吉田満氏でした。氏は東大在学中に学徒動員で出征したのはご案内の通りです。

 角川源義氏に謝す
昭和二十四年に角川源義氏は角川文庫発刊に際して、雄渾(ゆうこん)の一文を表しています。

 「第二次大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗北であった。私たちの文化が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎなかったかを、私たちは身を以って体験し痛感した。西洋近代文化の摂取にとって、明治以後八十年の歳月は決して短すぎたとは言えない。にもかかわらず、近代文化の伝統を確立し,自由な批判と柔軟な良識に富む文化層として自らを形成することに私たちは失敗してきた。そしてこれは、各層への文化の普及浸透を任務とする出版人の責任でもあった。」

 五十年余経った今、角川氏を受け継ぐべき私たちはただただ恥じ入るしかありません。出版文化が低調の極みを見せているのはあながち不況のせいだけに帰するものでもありません。出版社は経営危機を伝えられ、漫画でどうにか経営が維持されているとさえ伝えられている大手出版社もあります。

 その新聞には志はあるか
緩慢な死に向かいつつあるが如き日本において、国家観の確立無きままの改革などありえないし、不可能ではないでしょうか。  「何のための景気回復」という命題を抱きつつエルリコは発刊します。この新聞では以下の方針で進みます。①できるだけ広告を少なくする。②いわゆる3S。つまりスポーツ、スクリーン(映画)、セックスの記事は扱わない。

 金融経済を切り口として読者の資産増大の一助となることを行いつつ、自立した真の意味の恒産ある市民層(シチズン)の形成に役立つことこそ私たちの願いです。